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三陸では大津波が昭和にも押し寄せている

昭和初期にも三陸大津波が起こっています。

1933(昭和8)年3月3日、午前2時30分、マグニチュード8.1の大地震が三陸沖で発生しました。30~50分後には、岩手県と宮城県北部に最高28.7m(海抜)の津波が押し寄せています。

明治の三陸沖地震に比べると、津波の高さが全般に低く、倒壊・流失戸数は多かったのですが、死者は岩手県で1133人、青森県で1人、宮城県で0人と、明治の津波に比べ、被害は小さくすみました。

明治三陸大津波から37年が過ぎていましたが、当時の記憶がまだ残されていて、避難も迅速に進んだと思われます。

津波から年月が経つと再び海岸付近に住宅が増加

この津波ののちに、被害地域に建物を建てる場合は許可が必要となり、唐桑町只越地域でも住宅は高台に移されました。

しかし、1965(昭和40)年ごろから宅地不足のため、海岸付近に再び住宅が建てられるようになったといわれます。

三陸に大津波を起こしたチリ地震津波とは

1960(昭和35)年にも、三陸地域には大津波が押し寄せています。チリ地震津波です。

日本時間5月23日午前4時過ぎ、遠くチリ南部でマグニチュード9.5という巨大地震が発生。この地震で起きた津波は時速750kmという高速で太平洋を横断し、22時間30分後に三陸沖に到達しました。

このときの津波の高さは、最大で8m。被害は日本の太平洋岸に広がりましたが、人的被害が最も大きかったのは、岩手県大船渡市で死者53人、宮城県志津川町で死者37人でした。

三陸の地震と津波は古代から多数あった

時代をさらに遡って巨大なものだけ拾っても、三陸地域の地震と津波は多数あります。869(貞観11)年の津波で死者約1000人、1611(慶長16)年の慶長津波で死者約1800人、1793(寛政5)年の三陸津波で床上浸水約1m、1730棟以上の家が流失などの記録が残されています。

三陸で津波が大きくなるメカニズムとは

宮城と岩手の三陸地帯は、リアス海岸で起伏があり、隘路(あいろ)も多いといわれます。そのような場所では、津波が大きくなります。さらに、津波は川を遡上して被害を内陸まで及ぼします。津波の被害は、江戸時代以前から現在に至るまで、ずっと繰り返されてきたのです。

三陸の地震は巨大な津波がともなうことを忘れてはならない

2011(平成23)年に起きた東日本大震災も、そのうちのひとつといえます。津波の高さは10m以上、遡上高40.1m(海抜)で、死者・行方不明者は約2万人。千年に一度の大津波などと一時は言われましたが、明治の三陸津波と比べても大きな差はないように思われます。

今後も、三陸地域には巨大津波が押し寄せる危険があることを、絶対に忘れてはならないでしょう。

東日本大震災の被害

東日本大震災の被害
総務省統計局「東日本太平洋岸地域のデータ及び被災関係データ」を元に作成

海沿いで被害が大きいことから、地震そのものよりも津波の影響が大きかったことがわかります。行方不明者発生率は、三陸の4市町が最も高くなっています。

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