更新日: 2024年1月14日
三陸では地震が江戸時代から多発!大津波で犠牲になる人も多かった
江戸時代から現在まで、三陸地域では大きな地震が多発し、それとともに津波が押し寄せて大きな被害を出しています。
東日本大震災は特別なものではなかったのです。
目次
三陸の地震で明治時代にM8級が発生?
宮城県や岩手県の三陸沖は地震の多発地帯で、度々、大津波に襲われています。
1896(明治29)年6月15日、午後7時32分に明治三陸沖地が発生しました。マグニチュードは6.2とされてきましたが、被害の大きさから、現在ではマグニチュード8を超えていたと考えられています。
三陸の津波被害で村人の8割が犠牲になった唐桑町只越地域
地震のおよそ30分後には大津波が押し寄せました。津波は最大で38.2m(海抜)を記録しています。震源地が釜石沖であったため、被害は釜石周辺の海岸に広がりました。宮城県では、本吉郡唐桑町(からくわちょう)などが被害を受けています。死者は2万人以上。
唐桑町只越(ただこし)地域では、浜と川沿いの低地に家屋が集中していたため、ほぼ全戸が津波にのまれ、村人の8割が亡くなったといわれます。津波が発生したのは夜だったため、避難が遅れたのでしょう。
その後、居住地は北の高台に移されましたが、昭和の初めには元の海岸地帯に戻っています。暮らしやすさ、仕事のしやすさが優先されてしまったようです。
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