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軍事施設の設置により軍都としても発展した宮城・仙台

仙台は軍都でもありました。

仙台市宮城野区榴岡には1875(明治8)年から大日本帝国陸軍歩兵第四連隊が置かれ、太平洋戦争ではジャワ島、ガダルカナル、マニラ、ビルマなどの激戦地に送られました。現在、その隊舎は、仙台市歴史民俗資料館になっています。

1941(昭和16)年4月には船岡に第一海軍火薬廠が完成し爆薬製造が始まりました。太平洋戦争末期には1万人ほどが働いていたといわれます。

そのほか、名取市の玉浦や桃生郡の矢本には飛行場が造られています。

宮城に置かれた軍事施設

宮城に置かれた軍事施設

軍事施設が置かれた場所。現在は、それぞれ空港や自衛隊の駐屯地として利用されています。

宮城の戦争被害:仙台空襲では陸軍の駐屯地も標的に

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月9日~10日にかけて、大規模な空襲に見舞われました。仙台空襲です。

総務省の調査によると、米軍報告書では123機のB29が飛来。仙台の上空3000mから爆撃を行い、1万2961発の焼夷弾などを投下しました。米軍によると、市街地の27%、鉄道操車場の40%、軍事施設の80%、陸軍建造物の50%を破壊したと評価しています。

仙台空襲の被害状況とは

仙台市役所防衛課の調べによると、被災した戸数は1万1933戸、被災人口は5万7321人で、1000人を超える死者が出たといわれます。

仙台城二の丸には陸軍第二師団が駐屯していたため空爆目標のひとつとなっており、10日、国宝だった仙台城大手門や隅櫓が焼け落ちました。玉浦飛行場や矢本飛行場も爆撃で被害を受けましたが、船岡の海軍火薬廠は被害を免れています。

宮城の戦争被害:仙台は焼け野原となった

仙台空襲は、終戦のおよそ1カ月前のことです。市街地は焼け野原と化し、文化財や歴史のある建物はほとんどが焼け落ちました。仙台市街に戦前の建物がほとんど残っていないのは、このためです。

1945(昭和20)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して連合軍に降伏しました。幕末から日清・日露戦争、太平洋戦争と続いた薩摩・長州中心の派閥政治や軍閥闘争は、この日をもって終結したといえるでしょう。

宮城は戦後の高度成長時代へ

終戦と同時に、仙台、塩竈、石巻、松島、大河原、古川、多賀城などにアメリカ占領軍が駐屯し、その状態は1952(昭和27)年まで続きました。終戦直後から県内では混乱が続き、困窮する人も多かったのですが、1960(昭和35)年、「所得倍増」政策を掲げた池田勇人内閣が誕生するころには落ち着きを取り戻し、高度経済成長の時代へと入っていきます。

闇市から生まれた現代の人気横丁

終戦直後、仙台市街地は空襲のため焼け野原になっていました。それでも、現在の仙台駅西口付近や一番町付近には粗末な小屋が立ち並び、食料や衣類を売る闇市のようになっていたといわれます。

現在、仙台駅前にあるジャンジャン横丁仙台朝市、一番町の文化横丁などは、その名残といってもいいでしょう。終戦直後とはまるで雰囲気が異なり、おしゃれな雑貨店やこだわりの飲食店などが軒を連ねて人気を呼んでいます。

闇市から生まれた現代の人気横丁

仙台朝市

仙台朝市

住所
宮城県仙台市青葉区中央3丁目~4丁目朝市通り
交通
JR仙台駅から徒歩5分
料金
店舗により異なる

文化横丁

住所
宮城県仙台市青葉区一番町2
交通
地下鉄青葉通一番町駅からすぐ
料金
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・伊達政宗が始めた一大治水事業、暗渠化した四ツ谷用水をたどると見えてくる伊達政宗の町づくり
・「杜の都」の由来となった森はいったいどこにある?
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●宮城に開かれた道の歴史

・東北中の人々が旅した奥州街道!その繁栄を支えた宿場の光と影
・険しい奥羽山脈を越えて宮城と山形を結んだ道の歴史
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・野蒜港計画とともに消えた幻の巨大運河ネットワーク構想
・東北新幹線が仙台駅前後で不自然に蛇行する理由とは?
・東京メトロより古い 日本初の地下路線があった仙石線

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●宮城で動いた歴史の瞬間

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・東北最大の雷神山古墳が示す仙台・名取の有力豪族
・東北支配の拠点となった陸奥国郡山官衙と多賀城
・藤原家三代秀衡が陸奥守に就任・宮城の地も藤原家の統治下に
・室町時代に権勢を誇った大崎氏・名生館の屋敷で伊達氏らが拝謁
・敵を寄せ付けぬ天然の要害 正宗の拠点・仙台城が完成
・伊達62万石を揺るがせた伊達騒動の顛末を追う
・元禄バブル崩壊で財政危機!5代吉村が改革に乗り出した
・飛行隊基地に陸軍駐屯所など軍都としても栄えた宮城県

などなど、興味深いネタに尽きない宮城の歴史。知れば知るほど宮城の歴史も面白い。

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