更新日: 2024年1月14日
仙台で奥羽越列藩同盟が成立!戊辰戦争の火蓋が切られた!
新政府が成立して鎮撫軍が、いまだ幕府に味方する奥羽・北越各藩の討伐に向かいました。
それに対抗すべく、奥州・北越の31藩は奥羽越列藩同盟を結成します。
尊王攘夷運動が盛んになった幕末
幕末になると尊王攘夷運動が盛んになり、攘夷実現のために仙台藩も強兵策に力を注ぎました。兵や武器の洋式化に使う資金は膨大で、そのために藩の財政も逼迫していきます。
そのころは、買米の資金を幕府に頼ったり、米や商品を江戸で売買したりしていたため、長州などのように、反幕一辺倒になるわけにはいかなかったようです。
奥羽越列藩同盟の前触れとなる勤王方への厳しい取り締まり
東北地方は江戸に近いため、全体に親幕の傾向があったのでしょう。将軍家とつながりの深い松平容保(まつだいらかたもり)は京都守護職に任じられ、会津藩は幕臣を中心とした京都見廻組と新選組を配下に、京都の治安維持に努めました。しかし、長州や土佐などの脱藩浪人を厳しく取り締まったため、勤王方の恨みを買うことになります。
出羽の庄内藩も同様でした。幕府は庄内藩に江戸城府内の警護を命じ、薩摩浪人などの犯行と思われる火付けなどを厳しく取り締まったのです。1868(慶応3)年12月(旧暦)には、幕府に命じられて江戸薩摩藩邸を焼き討ちしています。
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