更新日: 2024年1月14日
五代・伊達吉村の改革~元禄バブル崩壊による財政危機の立て直し~
江戸中期になると、幕府も全国各地の諸侯も借金が膨れ上がります。
伊達家も同様で、五代吉村が改革に挑戦し、晩年になってようやく財政再建に成功しました。
目次
伊達吉村の40年に及ぶ治世
伊達家五代・吉村は宮床(みやとこ)(大和町)の生まれで、館主伊達肥前宗房(ひぜんむねふさ)の長男でした。1696(元禄9)年に五代将軍綱吉(つなよし)から1字を賜って吉村と名乗り、伊達家当主になっています。その治世は40年に及びます。
伊達吉村関係図
生まれは現在の宮城県大和町宮床とも、一関市大東町大原ともいわれます。大原には、伊達吉村が少年時代に学んだ学問所跡などがあります。
伊達吉村の藩主時代と重なる華やかな元禄時代の繁栄と衰退
元禄時代といえば、江戸時代前期で最も華やかだった時期です。上方を中心に町人文化が花開き、文芸・演芸が盛んになりました。浮世絵なら『見返り美人』の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)など、演劇なら人形浄瑠璃『曽根崎心中』の近松門左衛門など、俳諧なら『おくのほそ道』の松尾芭蕉など、物語なら『好色一代男』の井原西鶴など、現代人でも知っている作家や絵師が、この時代に活躍しています。
そうした繁栄の背景には、貨幣経済の発展などによる庶民生活の向上がありました。もしかすると、昭和の高度成長期と同じようなものだったのかもしれません。
右肩上がりの成長には、いつか終わりがきます。江戸時代も同じです。幕府は、元禄景気が終わったのちも浪費を続け、気づいたときには、財政は破綻寸前になっていたのです。
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