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伊達騒動の発端となった三代藩主・伊達網宗

まさに、その欠陥が、大事件へと発展したのが、「伊達騒動」です。

発端は、三代藩主・伊達綱宗(だてつなむね)でした。1658(万治元)年に藩主となったものの素行が悪く、在府中は毎日のように吉原に繰り出し、大金を浪費していたのです。幕閣の一部では、これを理由に仙台藩を分割し、政宗の子である伊達兵部宗勝(だてひょうぶむねかつ)らに与える案を検討しているという噂も立ったといわれます。

ただし、綱宗の吉原通いは1週間程度で、さほど熱心に通っていたわけではない、という説もあります。幕府としては伊達62万石を、どうにかして分割したかったのではないでしょうか。それは、徳川家康の時代からの思惑であったようにも思われます。

四代藩主への家督相続と分封

そうした幕府の意向を耳にして、伊達領内の館主らは、1660(万治3)年7月に綱宗の隠居願と実子・亀千代(のちの四代藩主・綱村)の家督相続願を幕府に提出し、認められました。

ただし、政宗の十男・伊達兵部宗勝に一関3万石、二代忠宗の三男・田村右京宗良(たむらうきょうむねよし)に岩沼3万石を分封して大名格にし、亀千代の後見人としました。さらに、幕府から国目付2人を派遣して監視下に置いたのです。

この後、政治の実権を握ったのは、伊達兵部宗勝であったといわれます。その側近として執政職にあったのが、船岡の館主・原田甲斐宗輔(むねすけ)らでした。

伊達騒動と伊達兵部宗勝

伊達騒動と伊達兵部宗勝
『仙台藩ものがたり』を元に作成

1663(寛文3)年、涌谷の館主であった伊達安芸宗重 (あきむねしげ)と寺池の館主であった伊達式部宗倫(むねとも)との間で土地争いが起きました。涌谷は2万2600石、登米郡寺池は1万2000石。両地は複雑に入り組んでいたため争いが起きたのですが、目付による裁定は、伊達安芸宗重に著しく不利なものであったといわれます。

安芸宗重は日ごろから、兵部宗勝の専制に不満を募らせていたこともあり、この裁定がきっかけとなって、その専横を幕府に提訴しました。これを受けて、老中・板倉内膳正重矩(いたくらないぜんのしょうしげのり)らが伊達一門を呼び出して聞き取りし、幕府は安芸宗重の意見に理解を示しました。

このまま安芸宗重の主張が通れば、伊達領はいくつかに分断される可能性もあります。領地分割は、政宗の実子である兵部宗勝の最も避けたいところであったのです。

伊達騒動で非業の最期を遂げた原田甲斐宗輔

1671(寛文11)年、幕府大老酒井雅楽頭忠清(さかいうたのかみただきよ)の屋敷に、伊達安芸宗重、奉行原田甲斐宗輔らが呼ばれ、10年に及ぶ伊達兵部宗勝の専制政治について酒井大老の尋問を受けていました。形勢は涌谷の安芸宗重に有利なまま進み、亀千代後見人の兵部宗勝は窮地に陥っていたのです。

もはやこれまで、と思ったのか、控室で原田甲斐宗輔は、伊達安芸宗重に突然斬りかかり、殺害しました。原田甲斐は酒井家家臣に斬られて落命。幕府大老屋敷での刃傷沙汰は大事件となり、江戸中に広まりました。伊達家は窮地に陥りましたが、結局、亀千代の扱いはそのままで、改易になることもありませんでした。

伊達騒動は歌舞伎や小説となって今に伝わる

事件後、原田家は断絶。子孫も連座して打ち首になり、兵部宗勝は土佐に流されました。

大大名の内紛から殺傷に至った事件は衝撃的で、のちに、歌舞伎や小説などに、さまざまな形で描かれました。

涌谷館主・安芸宗重を殺害した原田甲斐は悪人として描かれていましたが、近年は、伊達家分封を命がけで阻止した忠義の人として再評価されています。

歌舞伎や小説で描かれ続けた伊達騒動

伊達騒動が題材になっている歌舞伎の人気演目が『伽羅先代萩』です。

歌舞伎では、乳母である政岡の息子が毒見として幼い藩主を守って死んでしまいますが、実際の伊達騒動でも亀千代の毒見役が亡くなっているといわれます。

歌舞伎だけでなく、小説も人気があります。代表的な作品は、山本周五郎作『樅ノ木は残った』。この小説は、それまで悪役としてしか描かれなかった船岡館主・原田甲斐を、伊達家を守るために命を捨てた忠臣であったと再評価して評判になりました。その後、この作品をもとにテレビなどで繰り返し映像化され、現在もDVDなどで見ることができます。

歌舞伎では、政岡の息子が毒見をして亡くなる場面が涙を誘います。現代の小説やドラマでは、伊達家安泰のために、悩みながらも命を捨てた原田甲斐の忠義が感動を呼びます。いずれも見ごたえ、読みごたえ十分です。

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