更新日: 2024年1月14日
慶長遣欧使節団を派遣した伊達政宗はスペインとの貿易を目論む
徳川幕府の統治体制が整ったころ、伊達政宗はまたも動き出しました。
目指した先は国内ではなく、ヨーロッパ。
遣欧使節団を編成してイスパニアへ送ったのです。
目次
慶長遣欧使節団をイスパニアへ派遣した目的
伊達政宗は仙台城下の町づくりを進める一方で、新たな事業も考えていました。それが、イスパニアとの交易です。徳川幕府の成立で国内が安堵されたことから、海外へと目を向けたのでしょう。もしかすると、伊達郡旧領土の回復がかなわなかったことから、新たな収益源の確保を目指したのかもしれません。
イスパニアは、英語で言うスペインのこと。自国語でイスパニアと言います。当時はまだ、ポルトガル(17世紀半ばにスペインから独立)も含まれており、鉄砲などの先進技術をもつ国でした。伊達政宗は、その国と貿易をして、おそらく武器などを輸入しようとしたのかもしれません。
イスパニアと貿易をしたいという旨は幕府に伝えられ、許可を得ることもできました。幕府から船大工や水主頭(かこがしら)も派遣され、その頃は幕府の期待も高かったと思われます。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!