更新日: 2024年1月14日
陸奥国郡山官衙と多賀城~東北支配の拠点~
大和政権は古墳時代から蝦夷支配を目論んでおり、7世紀半ばごろには宮城県北部まで支配を広げました。
郡山官衙も多賀城も、その最前線基地だったのです。
陸奥国の誕生
大化の改新(645年)後に成立した律令国家は国造を廃止し、新たな地方行政組である国(くに)・評(こおり)制度を施行しました。律令制度の始まりです。このときに設けられたのが、現代の福島県白河付近から宮城県仙台付近にあたる陸奥国(みちのおくのくに)です。古代陸奥国(こだいむつのくに)とも呼ばれます。
『日本書紀』には、道奥国司(みちのおくのこくし)という記述があるといわれています。現在も使われている「みちのく」の語源といってもいいでしょう。
本来の道奥の意味は、大和政権の支配が及ぶ東山道の最先端のこと。それが陸奥国でした。そこから北は、蝦夷の地です。
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