更新日: 2024年1月14日
宮城県の古墳時代~東北最大の雷神山古墳が示す仙台・名取の有力豪族~
弥生時代が進むと、穀倉地帯であった仙台や名取には、富を得た権力者が生まれました。
彼らは大和王権の支配下に入り、巨大古墳築造の許可を得ます。
古墳時代の始まりです。
宮城県の古墳の代表「雷神山古墳」は東北一の大きさ
3世紀末、畿内(きない)地方などでは階級化が進み、やがて、巨大な墳墓を築造する力を持った大和王権が誕生しました。力の差はあるものの、その他の地方でも豪族が生まれ、支配、被支配の関係を結ぶようになります。
宮城県内では、4世紀ごろから古墳が築かれるようになりました。県北や県南でも築造されましたが、一番古墳が多いのは名取市と仙台市です。
なかでも、4世紀に造られた名取市の雷神山古墳は全長168m、後円部径96m、高さ6mの前方後円墳で、東北一の大きさを誇ります。埋葬されたのは、仙台や名取一帯のかなり広い地域を治めていた強力な豪族であると考えられています。
宮城で2番目に大きい「遠見塚古墳」
同じ4世紀に、仙台市では遠見塚古墳が築かれました。長さ110mの前方後円墳で、県内では2番目、東北では5番目の大きさをもつ古墳です。仙台平野を治めていた豪族の墓と思われます。
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