更新日: 2024年1月13日
武田信虎の戦略地図~甲斐統一によって息子・信玄の露払い役を担う
歯向かう親族を次々に平定し、甲斐を統一!信濃に狙いを定めたところで信虎追放のクーデターが発生!
武田信虎の戦略地図~歯向かう親族を次々に平定し、甲斐を統一!
戦国初期、甲斐は守護家の武田一族による内乱状態にありました。
そうした状況下、わずか14歳で武田宗家の当主となった武田信虎は、反信虎の兵を挙げた叔父の油川信恵(あぶらかわのぶよし)を倒すと、次々と敵対する武田一族や国人層を打ち破ります。しかも破った大井氏の娘を妻に迎えるなど、老獪さを備えた政略結婚も駆使して勢力を拡大し、北条や今川の介入をはねのけて天文元年(1532)に甲斐を統一しました。
さらに信虎は、征服した国人衆を従えて家臣団を組織。甲府に躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を建て、家臣を集住させるなど、守護から戦国大名へと脱皮していきます。
天文5年(1536)には今川氏と同盟を結んで南の備えを固め、いよいよ信濃(しなの)侵略を本格化させる準備を整えます。
武田信虎は“孤立しない戦略”で甲斐を統一した
14歳で甲斐守護の武田氏の家督をついだ信虎は、今川、両上杉氏と結びながら武田氏の庶家や国人層の制圧に邁進し、天文元年(1537)までに甲斐を統一しました。
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