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河岸段丘ができるメカニズム

河岸段丘が形成される基本メカニズムはこうです。まず、上流から運ばれてきた土砂など が山あいを埋めるなどして谷底平野(平地)をつくります。それに対して川は、土地の隆起や気候変動による海面低下などにより、侵食力を増して谷底平野を削っていきます。こうしてできた平坦面(段丘面)と崖(段丘崖(だんきゅうがい))からなる地形が河岸段丘です。

さらに、長い年月をかけて堆積と侵食や隆起を繰り返し、古い段丘面ほど上位(高位)となる数段の河岸段丘ができあがります。また、段丘崖では段丘礫層(れきそう)(段丘をつくる礫層)のなかを流れた地下水が湧いている場合が多いです。そうした場所では木々が繁茂し、段丘崖の位置を知ることができます。

豊川の河岸段丘面

豊川流域には、大きく分けて高位・中位・低位という3つの段丘面が形成されています。もっとも古い高位段丘面は約50万~20万年前、中位段丘面は約13万~12万年前、低位段丘 面は前出2つよりもっと新しい年代にできたものです。

高位段丘面の特徴

現在の豊川河床との標高差が約60mある高位段丘面は、奥三河平野最奥部の新城市中心部から長篠にかけて、豊川右岸の山ぎわに断片的に分布。高位段丘面には、赤色土(赤土)が載っている特徴があります。

中位段丘面の特徴

中位段丘面は、豊川両岸で多く見られます。新城市や豊川市、豊橋市の中心市街地のほか小坂井町(現・豊川市)市街地が載っているため小坂井面と呼ぶこともあります。高位段丘面とは異なり、こちらの段丘面には黒ぼく(黒土)が載っています。

低位段丘面の特徴

低位段丘面は中位よりも分布域が限られ、おもに新城市中心付近の豊川両岸と、豊川の支流沿いに細長く分布します。こちらも中位同様に、黒ぼくが載っています。

豊川の河岸段丘は東三河で自然の要害として利用

豊川流域の東三河では、河岸段丘を自然の要害として利用、多くの城や砦が築かれてきました。武田信玄にとって最後の戦場となった野田城、長篠の戦いの翌年に戦国武将・奥平貞昌(おくだいらさだまさ)(信昌(のぶまさ))が築いた新城城は、ともに豊川の中位段丘面に立地。城兵わずか500人程度の徳川方(野田城)に約3万人の武田軍が攻め入りましたが1カ月経っても落とせず、最後は水脈を断って開城させています。

これは野田城が、半島状に突き出た河岸段丘上にあり、東を桑淵、西を龍淵という断崖で守られ、川を堰き止めた深い水堀を擁していたためです。

新城城は、主要曲輪の南西部が豊川を背にした絶壁にあり、ほかの三方は大土塁と虎口で守り、その外側は空堀になっていました。

また、長篠城は寒狭川(豊川)と宇連川の合流点に突き出た低位段丘面の縁にあります。東と南西は急な段丘崖、北側は二重の堀や土塁で守りました。これぞまさに鉄壁。長篠の戦い(1575年)で武田軍は落とせませんでした。

豊川と新城市内の河岸段丘

豊川と新城市内の河岸段丘
国土地理院色別標高図を元に作成

色の違いが標高差を示していますが、豊川流域、とりわけ右岸で階段状地形の河岸丘が発達しているのがわかるでしょう。新城城や野田城は中位段丘面に築かれ、現在の野田城駅付近は低位段丘面にあります。

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・須恵器の猿投窯に始まり中世に発展した愛知の窯業
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・信長が少ない軍勢で挑んだ桶狭間の戦い勝利の裏側
・家康後の岡崎城主・田中吉政が築いた岡崎二十七曲りとは?
・都市ごと清洲から名古屋へ移転した清洲越えがすごい!
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