更新日: 2024年1月14日
名古屋城がそびえる熱田台地!自然の断崖が城を堅く守る!
天下をとった徳川家康が築いた名古屋城とその城下。
そこには台地の縁という立地、熱田とを結ぶ用水路の掘削など、家康の知略があふれています。
目次
名古屋城築城の始まり
戦国時代、尾張(愛知県)の中心地は清洲でした。織田信長亡き後、豊臣秀吉が中心となり継嗣・領地問題について合議が行われたのも清洲城です。
名古屋城は1520年代に今川義元によって築かれたといわれ、その後、信長の手に渡りましたが尾張の政治的中心地はなお清洲でした。そして関ヶ原の戦いから10年、1610(慶長15)年、徳川家康により現代に知られる名古屋城築城が始まります。
名古屋城築城の場所選び
家康といえば三河の人。それが、関ヶ原合戦後、豊臣方の弱体化に努め、最後の総仕上げ「大坂夏の陣」を控えた当時、家康はここより東には退けない防衛線として尾張を重要視していました。しかし、尾張の清洲は洪水が多発するなど地形に問題があり、清洲城は水攻めに極端に弱い城でした。
そこで小牧、古渡、那古野(現在の名古屋)などが候補地に挙がり、最終的に那古野の地に新たな城が築かれることとなります。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!