川口鋳物の明治時代から昭和初期
川口の鋳物工場は、明治時代には機械部品や建築資材の生産を担いました。そして、1894(明治27)年に日清戦争、1904(明治37)年に日露戦争が起こると、兵器や砲弾などの軍需品の製造を開始。川口鋳物の名は全国に知れわたり、飛躍的な成長を遂げることとなったのです。
世界恐慌により一時は停滞するものの、1931(昭和6)年に満州事変が起こると再び軍需が復活。1942(昭和17)年には鋳物生産量で日本一となり、その勢いは太平洋戦争終結まで続きました。
川口鋳物は戦禍を免れた
戦争末期、日本の主要な工業都市は空襲によって壊滅的な被害を受けましたが、川口は戦禍を免れています。そして、戦争が終わるとすぐに操業を再開し、不足していた日用品や農具をつくり始めました。
川口鋳物など一大工業都市として発展した川口
1950(昭和25)年に朝鮮戦争が起こると、米軍からの軍需品発注が急増。川口の鋳物生産額は戦前の最高水準を上回るほどに増大。工場が林立し、多くの労働者が集まる川口は一大工業都市として発展していきました。
川口鋳物と東京オリンピックの聖火台
敗戦から復興し、高度経済成長を遂げた日本を象徴する出来事といえば、1964(昭和39)年の東京オリンピックでしょう。この東京オリンピックの聖火台は川口鋳物です。
製作を引き受けたのは、鈴木萬之助(すずきまんのすけ)・文吾(ぶんご)の親子。途中、鋳造失敗のショックで萬之助が急逝する悲劇がありましたが、息子の文吾が遺志を継いで完成させました。
聖火台は、オリンピック後も、旧・国立競技場に設置されていました。その後、2度目の東京オリンピックにともなう新国立競技場の建設のため、旧競技場の解体とともに撤去。東日本大震災の復興支援として宮城、岩手、福島を巡回したあと、JR川口駅前に半年間ほど展示されました。短い里帰りを終えて、聖火台は今、新国立競技場の東側ゲート正面に鎮座しています。
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