更新日: 2024年1月14日
100m道路はどのようにしてつくられた?名古屋の戦災復興事業として整備された2本の道路。
名古屋には幅員100m級道路が2本走っています。
戦災復興事業として整備されましたが、実現には家康の町づくり、市による復興計画の早さがあったのです。
目次
100m道路の成り立ち
名古屋市の「100m道路」は、しばしば「名古屋市の戦災復興事業の早さ」という文脈で語られます。
太平洋戦争時、軍需産業都市(軍都)であった名古屋市は、米軍から徹底した空襲を受け、名古屋城を含む当時の市域の約4分の1が灰燼に帰してしまいました。しかし戦後、名古屋市は復興へ向けて素早く動き出します。1945(昭和20)年9月には市の再建に関する決議を行い、翌10月には市復興調査会を設置しています。
いっぽうで国は、同年12月にようやく「戦災地復興計画基本方針」を閣議決定しましたが、 名古屋市では同月すでに「大中京再建の構想」を策定していたのです。
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