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【深谷が生んだ偉人・渋沢栄一】尊王攘夷思想を曲げて幕臣になったわけ

渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、榛沢郡血洗島(はんざわぐんちあらいじま)(深谷市)の富農に生まれ、幼少時から家業を手伝いながら勉学に励みましたが、20代前半で尊王攘夷思想に傾倒し、討幕を企てたために幕府から追われる身となってしまいました。

京都に逃れ、かつて江戸遊学で知り合った一橋家(徳川家の分家)の家臣・平岡円四郎(ひらおかえんしろう)を頼りましたが、そこにもすでに幕府の捜査が及んでいました。もう逃げ場はありません。「この際、思想を曲げて一橋家に仕え、草履取りから始めて、のちに政治の実権を握る人に進言したほうが賢い」と平岡に説得され、やむなく渋沢栄一は一橋家の家臣となります。

すると、たちまち渋沢は財政改革などで能力を発揮し、一橋慶喜が将軍となると幕臣に任命されたのです。しかしこれは、倒幕の志をもち続け、慶喜の将軍就任にも反対していた渋沢栄一にとっては不本意なことであったとともに、ここで幕府が倒された場合、その後の政治にかかわれなくなるという不安もありました。けれども、のちに慶喜が大政奉還をしたことで、その心配は杞憂に終わったのです。

【深谷が生んだ偉人・渋沢栄一】大蔵省から実業家に転身

明治新政府の任に就いていた大隈重信から熱心に誘われた渋沢栄一は、一度は大蔵省に入ります。

しかし、風土が合わず4年で辞めて実業家に転身。幕臣時代にヨーロッパ視察で得た知見を生かし、株式制による銀行や製紙会社、ガス会社、保険会社など、現代まで続くさまざまな企業の基礎を築きました。

【深谷が生んだ偉人・渋沢栄一】掲げた理念

『論語』の精神をもとに、私利私欲を追わず社会全体を豊かにすることを目指す「道徳経済合一説」が渋沢栄一の理念でした。渋沢の人生は、尊攘派から幕臣という大転換はあったものの、近代的な商工業の育成によって、欧米列強と対等に渡りあえる日本をつくりたいという思いは一貫していたのです。

【深谷が生んだ偉人・渋沢栄一】功績と日本煉瓦製造株式会社

渋沢栄一の故郷・深谷市にも、渋沢栄一が設立にかかわった「日本煉瓦(にほんれんが)製造株式会社」がありました。同社は、レンガ造りの洋風官庁街をつくるため、レンガを国内で機械生産するべく1887(明治20)年に設立し、翌年深谷に工場をつくりました。

良質の粘土を産出し、深谷瓦の産地として知られる上敷免(じょうしきめん)村と新井(あらい)村にまたがる地域に、機械式レンガ工場を建設。当初はレンガの出荷に利根川の舟運を使っていたため効率が悪かったのですが、渋沢栄一は日本鉄道株式会社に要請し、1895(明治28)年に工場と深谷駅を結ぶ約4㎞の専用鉄道を開通させました。これにより大量輸送が可能になったのです。ここで生産されたレンガは、日本銀行や旧・東京裁判所など、明治時代を代表するレンガ建築の数々に用いられました。

渋沢栄一が故郷につくった会社は日本煉瓦製造だけ。同社も2006(平成18)年に廃業しましたが、ホフマン輪窯(わがま)6号窯や旧変電室など遺構の一部が残されています。

1958(昭和33)年の深谷駅北側

深谷駅から田園地帯を北上し、小山川沿い(小山橋の南側)に立地する日本煉瓦製造の工場へ至る日本煉瓦製造専用線が敷かれています。この専用線は、1975(昭和50)年に廃線となり遊歩道に整備されました。

ホフマン窯とは

ドイツのフリードリヒ・ホフマンが考案した通称・ホフマン窯。日本煉瓦製造には5基設置され、石炭を燃料に1基につき月産約65万個のレンガを焼成したといわれています。

【深谷が生んだ偉人・渋沢栄一】生まれ故郷・深谷の現在

渋沢栄一の肖像が入る新一万円札の裏面には、東京駅丸の内駅舎が描かれています。理由は、東京駅にも日本煉瓦製造のレンガが内部の構造に使われていることによります。

また、1996(平成8)年には、JR深谷駅の駅舎が東京駅を模したレンガ造り風に改築されました。大正時代に渋沢栄一の喜寿を記念して都内に建てられたレンガ造り平屋建の英国農家風の建物「誠之堂(せいしどう)」も、1999(平成11)年に深谷市へ移設されました。

渋沢栄一の生まれ故郷であり、「レンガの町」として栄えた深谷の歴史が見直されつつあります。

渋沢栄一記念館

住所
埼玉県深谷市下手計1204
交通
JR高崎線深谷駅から深谷市コミュニティバス北部定期便で32分、栄一記念館下車すぐ
料金
無料

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