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神奈川の近代化が日本をリードした
徳川幕府が滅亡し、明治時代に突入すると、国際貿易港の横浜は西洋文化の入り口となりました。外国からもたらされた文化は、まず横浜に導入され、やがて日本全土に伝播していったのです。
食パン、アイスクリーム、牛鍋、ビール工場……といった食文化に関するもの、鉄道(横浜~品川間)や電話交換事業、ガス灯や街路樹設置といったインフラ面、さらには競馬開催や日刊新聞の発行、理髪店など、ありとあらゆる西洋文化が国内では「横浜発祥」となりました。
明治維新も文明開化も、日本の近代化は神奈川が先導したともいえるでしょう。
神奈川の近代化に見る東部の重工業化と京浜工業地帯の形成
県東部は東京への距離的な近さから商品を輸送しやすく、かつ土地も余っていたことから、いち早く重工業化が進みました。
多摩川河岸地域や東京湾沿岸部には企業の工場が続々と建設され、埋立事業と合わせて京浜工業地帯が形成されていきました。
神奈川の近代化のノウハウは失われることがなかった~関東大震災による被害と復興~
しかし、1923(大正12)年9月1日の関東大震災で、神奈川県は致命的な痛手を負ってしまいます。マグニチュード7.9、最大震度7の大地震は、相模湾北部を震源地とし、震源地に近い横浜は東京よりも大きな被害を出しました。
このとき大量に発生した瓦礫を利用して埋立地とし、そこに造成したのが山下公園(横浜市中区)です。山下公園は、いわば復興事業のシンボルでした。
関東大震災による神奈川県の住家被害と死者
関東大震災は、東京の東部から横浜にかけて甚大な被害をもたらしました。とりわけ横浜の住家全壊戸数や死者の数は膨大。横浜港の大部分が海中に沈んだともいわれています。また、横須賀では重油タンクの爆発事故も起きました。
神奈川の近代化は大空襲の被害と日本の戦後復興や大成長の原動力となった
戦時中、京浜工業地帯は軍需工場化し、横須賀には海軍の鎮守府があり、また相模湾沿岸部には砲台が設置され、神奈川県は「軍都」となりました。このためアメリカによる空襲の標的とされ、県全域が空襲の被害に見舞われましたが、なかでも川崎と横浜への空襲では大きな被害が出ました。
県東部は大空襲で焦土と化しましたが、近代以降に培われた工業や商業のノウハウは失われることはなく、戦後復興や高度成長期を支える原動力となりました。現在、神奈川県の人口は約920万人(全国2位)で、日本を代表する県となっています。
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