更新日: 2024年9月23日
横浜がなぜ開港の地になったのか?寒村にすぎなかった地が大都市へ~神奈川県の歴史~
今や横浜は国内有数の国際都市です。
かつて小さな漁村だった横浜がどのようにして大都市へと発展していったのか、その足跡を追ってみましょう。
横浜の開港前は「横浜村」という小さな漁村だった
横浜市は、市町村別で全国最多の人口(2019年7月現在、約374万人)を抱える大都市であり、神奈川県では最大面積を誇る市町村でもあります。
しかし、元来の「横浜」はごく限られた地域を指す地名で、現在の山下町(横浜市中区)付近を指していました。久良岐郡横浜村の周辺は入海になっており、現在の関内駅周辺や山下公園などは、関東大震災(1923年)後に埋立事業が行われるまでは海だったほどです。かつての横浜村は入江の先端に突き出た小さな漁村で、1800年代の前半まで、わずか80数戸ほどの漁師小屋が並ぶにすぎませんでした。
もともと神奈川県域では、鎌倉幕府の玄関港としての歴史をもつ六浦湊(むつらみなと)(横浜市金沢区)や神奈川湊(横浜市神奈川区)のほうが重要度は高かったのです。とくに神奈川湊は、港町が東海道の宿場町になったことで、陸路でも重要視されました。
神奈川宿の位置関係を見れば一目瞭然、横浜村は東海道から外れた寒村でしたが、そんな横浜村が国際港になったのには理由があります。
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