更新日: 2024年9月9日
吉田新田は横浜大発展の礎となった~神奈川県の歴史~
小さな漁村だった横浜は、江戸時代前期、大規模な新田開発によって変貌を遂げました。
江戸の豪商・吉田勘兵衛による吉田新田開発を見ていきましょう。
目次
吉田新田開発前の横浜と急務だった新田開発
大岡川と中村川、そしてJR京浜東北線(根岸線)で囲まれた釣り鐘状の土地は、かつて元町付近から北へ延びた砂州(砂礫が堆積した細長い地形)により、東京湾と区切られた入海でした。現在の横浜市中区や南区の中心市街地は入海で、前出の砂州が往時の横浜村。横浜は「横」に延びた「砂浜」という寒村だったのです。
それがいかにして大発展を遂げたのでしょうか。 答えは「開港」にほかなりませんが、大変身の端緒となったのは入海の埋立事業、新田開発です。江戸は爆発的な人口増を見せており、食料(米)を供給する新田の開発は急務のひとつでもありました。
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