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関西鉄道と官設鉄道で激化した旅客獲得競争

名阪間は旅客も多く、関西鉄道は開業時から官設鉄道としのぎを削りました。

運賃の値引き合戦は顕著で、1902(明治35)年当時、官設鉄道の名古屋~大阪の往復割引運賃が3等2円30銭だったのに対し、関西鉄道が3等2円としたことで、官設鉄道は1円50銭に改め、関西鉄道も同額にして対抗しました。

すると、関西鉄道は運賃をさらに下げ、乗客に弁当を無料で配るサービスなどもして競争は激化。大阪府知事などが調停に乗り出す騒ぎになったほどです。

関西鉄道は世界で初めてのビュフェ車だった!

所要時間も、関西鉄道の直通列車は京都経由の官設鉄道と遜色ありませんでした。その上、関西鉄道では蒸気機関車に「早風」「電光」「池月」など個別の愛称を付け、客車にはビュフェも設けました。

これは車両の一部を食堂にしたもので、食卓は窓に向かって片側4人、計8人席を設置。ビール、サンドウィッチ、洋食などを提供しました。のちの国鉄特急、急行、新幹線などに設けられた軽食堂ビュフェの始祖に当たりますが、国際的にもこの食卓配置は前例がなく、世界で初めてのビュフェ車といわれています。

関西鉄道の先進的な車両技術や旅客サービス

また、関西鉄道は車両の等級別色分けを行い1等は白、2等は青、3等は赤の帯を客車の窓下に入れました。これは、その後の国鉄車両でも標準採用されており、関西鉄道には先見の明があったのです。ほかにも電灯の採用、赤帽(ポーター)の配置、各駅名所案内標を設けるなど、関西鉄道には先進的なサービスが見られました。

さらに、1906(明治39)年のダイヤ改正により直通列車に給仕を乗務させ、客室灯を油灯からガス灯に改めたほか、弁当、寿司、サンドウィッチ、バター付き食パン、ビスケット、ジンジャエール、煙草、マッチ、 扇子など多品目の車内販売が行われるようになりました。

関西鉄道の愛知駅は名古屋駅より立派だった!?

開業時、名古屋駅は官設鉄道から間借りしていましたが、全通時には名古屋駅南方に独自の愛知駅が設けられ、これを名古屋のターミナルとしました。愛知駅は時計台のある西洋造りで、ドーマー窓があるなどモダンで、名古屋駅をしのぐ立派な駅舎でした。

関西鉄道の功労者・島安次郎

進取の気性に富む関西鉄道でしたが、同鉄道には明治時代の鉄道技術者として著名な島安次郎(しまやすじろう)が参画しているのも特筆すべき点です。

島安次郎は蒸気機関車の設計、軌間(レール間隔)の広軌(こうき)改築論などで知られる功労者で、長男の島秀雄(ひでお)は新幹線開発の技術総帥にして文化勲章受章者です。

関西鉄道の終焉・関西本線の現在

関西鉄道は、1907(明治40)年に国有化され、わずか10年足らずでその名は消えてしまいました。主たる路線の関西本線は、以降、ローカル線となり、昭和初期に参宮急行電鉄(さんぐうきゅうこうでんてつ)などによる名阪間の優等列車に対抗し、快速列車、準急列車を名阪間に走らせました。

しかしこれは長続きせず、東海道本線が電化され、近鉄特急が充実すると関西本線は名阪間輸送から撤退。再び静かなローカル線に姿を変え現在に至ります。

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・・などなど愛知のダイナミックな自然のポイントを解説。

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・世界初のビュフェもあった幻の関西鉄道はどんな路線?
・名鉄名古屋本線はかつて名古屋を境に東西で別の私鉄?
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・国産初の超低床路面電車!リトルダンサーが走る豊橋鉄道
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・都市ごと清洲から名古屋へ移転した清洲越えがすごい!
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