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JAXA相模原キャンパスが誇る「はやぶさ2」の快挙
2014年12月に打ち上げられた「はやぶさ2」は、2018年6月、リュウグウに到着し探査を開始。2019年2月には、小惑星の表面物質を採集するタッチダウンに成功します。4月には衝突装置で小惑星に人工クレーターをつくる実験にも世界で初めて成功し、7月に2度目のタッチダウンを行いました。2020年12月6日に無事地球への帰還。サンプルリターンは、「はやぶさ」に続く世界で2例目の快挙となりました。
JAXA相模原キャンパスは宇宙科学研究の中心的存在
「はやぶさ」「はやぶさ2」などを開発し、 管制を行っているのは、相模原市中央区にあるJAXA相模原キャンパス(宇宙科学研究所) です。相模原キャンパスは日本の宇宙科学研究の中心的存在であり、相模原市も今では 「はやぶさのふるさと」として知られています。
ではなぜ、宇宙科学の中心地が相模原に 設置されることになったのでしょうか?
JAXA相模原キャンパスがある場所の歴史
時代は昭和初期。畑や山林が広がる農村地帯の相模原に「軍都計画」がもち上がりました。昭和10年代、きな臭くなってきた世界情勢を受け、軍部は都心から比較的近く、平坦な台地が続き、鉄道も整備されている相模原に軍都を建設しようと考えたのです。
1937(昭和12)年、市ヶ谷にあった陸軍士官学校が相模原・座間地域に移ると、相模陸軍造兵廠、相模陸軍兵器学校、電信第一連隊などの陸軍関連施設が次々と建設されました。現在のJAXA相模原キャンパスが立地する一帯には、陸軍機甲整備学校が建てられていました。
しかし1945年、日本が戦争に敗れると軍都計画は中断。軍の施設は米軍に接収され、陸軍士官学校は在日米陸軍キャンプ座間、陸軍造兵廠は相模総合補給廠となりました。陸軍機甲整備学校も米陸軍のキャンプ淵野辺となり、米軍将校やその家族向けの住宅が続々と建設されました。
JAXA相模原キャンパスの開設
1974年、キャンプ淵野辺は日本に返還され、跡地は処分留保の国有地となりました。その頃、町おこしのきっかけを探していた相模原市は、当時目黒区駒場にあった宇宙科学研究所に移転をはたらきかけ、1989年、相模原キャンパスが開設されました。こうして、「軍都」として開発された相模原は「宇宙のまち」に大変身したのです。
JAXA相模原キャンパス周辺の今昔
桑畑や山林だった相模原に、昭和10年代、軍都計画に基づき軍施設が続々と建てられました。戦後は米軍に接収されましたが、1953(昭和28)年の地図には当時の名残が多くあります
キャンプ淵野辺は1974(昭和49)年に日本へ返還され、1989(平成元)年、その地にJAXA相模原キャンパスが開設されました。
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