更新日: 2024年1月14日
孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻
279年、杜預らの進言に押された司馬炎は討呉の軍を興し、瞬く間に呉を制圧。ついに三国時代が終焉の時を迎えます。
孫晧の暴君により不安定となっていた呉に晋がついに兵を興す
呉では孫権(そんけん)の死後、帝位を巡る権力闘争が続いた上、4代皇帝孫晧(そんこう)が暴君であったことから、帝室から人心が離れていました。
そうした呉の様子を見て、晋の対呉最前線にいた羊祜(ようこ)は、対峙する呉の陸抗(りくこう)(陸遜の子)とよしみを通じながらも、何度も討呉を上奏していた。しかし成立して間もない晋王朝内にも権力闘争があり、重臣の賈充(かじゅう)が遠征に断固反対するなどなかなか実現できないでいました。
そんな折、晋にまたとない好機が訪れます。呉を支えていた陸抗が亡くなった上に279年、郭馬の反乱の鎮圧に呉が手間取っていたのです。直前に死去した羊祜の遺志を継いだ杜預(どよ)らが討呉を上奏。ここに至り同年晋は20万の大軍で、同時に呉領に攻め入る総力戦を仕掛けたのでした。
【呉の滅亡注目の武将】羊祜とはどんな武将?
知略に長けた晋の名将で、晋の武帝・司馬炎に重用されました。対呉最前線にあって、呉の陸抗と対抗しますが、平時は親交を結び、酒や薬のやり取りをしていたとされます。また、互いに善政を行なって競い合ったともいわれます。陸抗没後、討呉の準備を進めましたが、病に倒れ、後任に杜預を薦めて没しました。
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