更新日: 2024年1月14日
司馬昭に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
蜀を併呑した魏が晋に取って代わられた結果、呉の命運も風前の灯火となりますが、晋国内の事情が絡み、なかなか三国時代は終焉へと向かいませんでした。
司馬昭排除のクーデターは失敗し皇帝が返り討ちに
司馬懿(しばい)が魏の実権を握った後、その子司馬師(しばし)、その弟の司馬昭(しばしょう)らは反司馬氏の反乱も鎮圧し、皇帝をもすげ替える権力を手に入れていました。
4代皇帝の曹髦(そうぼう)は無力な存在となった皇帝の権力を回復させようと、260年、司馬昭排除のクーデターを起こします。しかし従う者は少なく、逆に官吏に殺害されてしまいました。
皇帝の殺害は国家の大逆です。しかし皇帝を殺した官吏が処刑されたのみで、晋代に編纂された『三国志』には事件のことすら記されていません。
この後も司馬昭の威勢はさらに高まり、263年に蜀を滅ぼした功績により、翌年、晋王(しんおう)となったのです。
司馬昭とはどんな武将?
司馬懿の次男。兄の司馬師の跡を継いで魏の大将軍・録尚書事(ろくしょうしょじ)を経て、256年、大都督となり魏の実権を握りました。260年に魏帝曹髦が司馬氏排斥のクーデターを起こすとこれを鎮圧。263年には蜀を滅ぼして翌年晋王となりますが、265年に病死。没後、子の司馬炎が即位すると文帝と諡されました。
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