更新日: 2024年8月30日
司馬懿の権力掌握~魏宮中のライバル曹爽を出し抜き魏の実権を握る~
魏宮中のライバル曹爽を出し抜き、司馬懿が魏の実権を握ります。
司馬懿は曹爽を油断させてクーデターへ
魏では曹爽(そうそう)が司馬懿(しばい)を閑職に追いやり、実権を握っていました。両者は表向き対立することはありませんでしたが、曹爽が244年に司馬懿の反対を押し切って蜀に侵攻し大敗北を喫すると、両者の対立は深まっていきます。
先に動いたのは司馬懿です。彼は247年に病気を理由に自宅に引き籠りました。これは政敵を油断させる策略でした。曹爽一派の重臣が訪れた際も耄碌(もうろく)したような態度を装い、曹爽を安心させることに成功します。
そして249年、司馬懿は曹爽一党が皇帝を擁して出かけた隙をついて一気呵成(いっきかせい)にクーデターを実行に移します。皇太后の裁可を取り付け、城門を閉じたのです。そして甘言を用いて曹爽を投降させると、一族、側近もろとも殺害しました(正始の変)。さらに2年後には皇族を鄴に集めて軟禁し、司馬懿は権力を一手に握ったのです。
【司馬懿の権力掌握注目の武将】諸葛誕とはどんな武将?
曹爽政権下で出世し、王淩(おうりょう)の反乱を鎮めた功績で鎮東将軍・仮節・都督揚州諸軍事となり、さらに毌丘倹(かんきゅうけん)・文欽(ぶんきん)の反乱を鎮圧するものの、司馬氏への恐怖から私兵を蓄えました。257年、洛陽への召喚を機に反司馬氏の兵を挙げ呉と結びましたが、胡奮(こふん)に敗れ殺害されました。
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