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【夷陵の戦い】劉備の死と諸葛亮への遺言

夷陵の敗戦後、劉備は何とか白帝城(はくていじょう)に逃げ込みますが、そのまま死の床につき、223年4月、諸葛亮(しょかつりょう)に後事を託して没しました。

この時劉備は「息子が補佐するに足らない人物なら君が自ら皇帝になれ」と諸葛亮に遺言したとされます。この遺言については、諸葛亮に全幅の信頼を置き、実質的な後継者と宣言したものとされる一方、臣下が従えない乱命であり、劉備が諸葛亮に忠誠を誓わせようとしたものともいわれています。

【夷陵の戦い】三国志演義では?

夷陵の戦い後、劉備を追って魚腹浦へと至った陸遜は、奇妙な石の陣のなかへ迷い込みます。これは諸葛亮が仕掛けた石兵八陣(せきへいはちじん)という罠でした。陸遜は、脱出に手間取る間に劉備を逃がしてしまいます。

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群雄が割拠した三国志を勢力図で解説。正史vs演義、人気の三国志作品も徹底比較!

数多の武将たちが群雄割拠し、栄枯盛衰の理のもとに散っていった三国志。はるか昔の、しかも他国の歴史であるにも関わらず、日本ではマンガやゲームなど多くの作品の題材となり、どの世代も魅了している。本書では、三国志のなかでも重要な出来事や戦いを図説。なぜその土地が重要だったのか?その戦いがなぜそこで起こったのか?地図とともにみれば、三国志の本当の姿が見えてくる。また、正史としての三国志と、物語としての三国演義の比較、マンガや映画など人気作品を分析したコラムも三国志ファン必見!

【見どころ】目次より一部抜粋

■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々

■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像

■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰

■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる

■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか

監修者紹介

渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。

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