更新日: 2024年1月13日
横須賀に造船所が作られ軍港となったのはなぜ?~神奈川の産業・文化~
古くから海運の要衝だったとはいえ、小さな漁村にすぎなかった横須賀。
そこへ造船所ができ、やがては一大軍港となった経緯に迫ってみましょう。
目次
横須賀に造船所が作られた基盤~海運の要で外国貿易が盛んになった横須賀
三浦半島(横須賀)は、古くから海運の要衝で、鎌倉~室町時代には浦賀や深浦が港として機能していました。また、この頃から走水(はしりみず)は房総半島へ渡る港でした。戦国時代には後北条氏(北条氏康)が浦賀城を築き、水軍の基地にもなっていました。
時が経て江戸時代、1607(慶長12)年頃から外国貿易が盛んになり、幕府は1632(寛永9)年に走水奉行が番所を設置し、1720(享保5)年には下田奉行を浦賀へ移転しています。東京湾(江戸)を守るため、浦賀水道に突き出た観音崎(現・横須賀市鴨居)は監視に適していたのです。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!