馬超と韓遂の間を裂いた離間の計
徐晃らを先陣として自ら出陣した曹操は、緒戦こそ苦戦しましたが、決戦を避けて持久戦に持ち込みます。その一方で曹操は、参謀の賈詡(かく)献策による「離間(りかん)の計」を仕掛けます。曹操は旧知の間柄であった韓遂を呼び出して親しげに世間話をし、伏字だらけの手紙を馬超の目にも止まるように韓遂に送りつけたのです。
馬超は次第に韓遂が曹操と内通しているのではと疑い、連合軍の足並みは乱れます。
こうして韓遂と馬超の間を裂いた上で曹操は決戦を挑みました。曹操軍は左右に配した精鋭部隊で、中央に配した関中の精鋭部隊を包囲せん滅する形で圧倒。韓遂、馬超らは涼州へ逃走していきました。
一方で曹操は献帝の警備隊長をしていた馬超の父・馬騰(ばとう)ら馬一族を全員殺害して見せしめとしました。
【馬超の反乱】三国志演義では?
冬を迎えるなか、曹操は地元の老人の言葉にヒントを得て、関中軍の攻撃を防ぐために、土塁に一晩水をかけ続けることで氷の城壁を築くという離れ業を見せる逸話もあり、見所の多い描写となっています。
馬超の容姿は演義によって煌びやかに飾られた
正史には詳しい記述のない馬超の容姿ですが、『三国志演義』では容姿の美しさを称える表現がなされ、横山光輝は中国の連環画をもとにその姿を再現しています。
◉『三国志演義』では馬超の出で立ちを詳細に語り、「錦馬超」と称える
◉横山『三国志』の馬超説得の場面は吉川『三国志』の影響が大きい
三国志演義での馬超
劉備(りゅうび)が益州を攻めた際、馬超(ばちょう)が加入する。『三国志演義』は、馬超を獅子頭(ししがしら)の兜(かぶと)に獣面模様の帯、白銀(しろがね)の鎧(よろい)に白い戦袍(せんぽう)という出で立ちに描く。威風あたりを払い、人品また群を抜く。劉備は思わず、「錦馬超(きんばちょう)と人は言うが、そのとおりである」と感歎した。
横山光輝『三国志』での馬超
諸葛亮は、李恢(りかい)を派遣して馬超を張魯(ちょうろ)のもとから切り離します。李恢は、亡父馬騰(ばとう)に代わって、父の仇(かたき)である曹操と戦わず、張魯の手先となった馬超を叱ります。横山光輝(よこやまみつてる)の『三国志』では、李恢の言葉を聞いた馬超が、「むむむ」と口ごもりました。
すると、李恢は、「なにがむむむだ!この戦いでお主が玄徳(げんとく)に勝ったら誰が一番喜ぶ」。「お前の父の仇の曹操ではないか」と畳(たた)み込んで馬超を帰服させたのです。「むむむ」は、「げぇっ!」「ジャーンジャーンジャーン」「孔明(こうめい)の罠」などと並ぶ、横山『三国志』のお馴染(なじ)みの受け言葉です。
吉川英治『三国志』での馬超
この場面の「むむむ」は、吉川英治(よしかわえいじ)の『三国志』の影響下にあります。吉川『三国志』は、この場面を次のように描いています。「その曹操のため、敗れて漢中に奔(はし)り、張魯のため、よい道具につかわれ……さてさて、呆(あき)れた愚者。辱(はじ)知らず。父の馬騰もあの世で哭いているだろう」。「……ううむ」。「何が、ううむだ。思え、泉下の父の無念を。……たとえ御身が玄徳に勝ったところで、歓(よろこ)ぶものは誰だか知っておるか。それは曹操ではないか」。
「ううむ」が「むむむ」になっていますが、横山『三国志』が、吉川『三国志』の影響下にあることが分かります。
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数多の武将たちが群雄割拠し、栄枯盛衰の理のもとに散っていった三国志。はるか昔の、しかも他国の歴史であるにも関わらず、日本ではマンガやゲームなど多くの作品の題材となり、どの世代も魅了している。本書では、三国志のなかでも重要な出来事や戦いを図説。なぜその土地が重要だったのか?その戦いがなぜそこで起こったのか?地図とともにみれば、三国志の本当の姿が見えてくる。また、正史としての三国志と、物語としての三国演義の比較、マンガや映画など人気作品を分析したコラムも三国志ファン必見!
【見どころ】目次より一部抜粋
■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々
■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像
■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰
■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる
■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか
監修者紹介
渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。
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