小田原城への侵攻②:武田信玄
また、小田原城は1569年には武田信玄の来攻を受けました。駿河を制圧した信玄は、その勢いのまま相模まで侵攻し、小田原城を包囲したのです。
このときは示威行為だったのか、すぐに包囲を解いて撤退していきましたが、ともあれ小田原城は、上杉謙信と武田信玄という、戦国時代を代表する二人の武将でも攻め落とせなかったわけです。
小田原城への侵攻③:豊臣秀吉
後北条氏の小田原城はまさしく難攻不落でしたが、そんな小田原城が落城するのは1590年。関白となった豊臣秀吉が、天下統一の仕上げとして、後北条氏との戦端を開いたのです(小田原征伐)。
秀吉の動員した総兵力はおよそ20万人ともいわれており、小田原城はもとより、関東全域の後北条氏の城をいっせいに包囲しました。
とはいえ、総構に守られた小田原城を攻め落とすのは容易ではありません。そこで秀吉は、ある秘策を用意しました。それが、世にいう「太閤一夜城 (たいこういちやじょう)」です。
豊臣秀吉の小田原城攻略の秘策「太閤一夜城」とは
これは小田原城を攻囲する際に前線拠点となる陣城で、秀吉は、小田原城から南西3㎞ほどにある笠懸山(かさがけやま)(小田原市早川)の山頂に築城することにしました。関東初となる総石垣の本格的な近世城郭でした。
築城に際して秀吉は、笠懸山の木を伐採せずに工事を進めさせました。敵対し、目前にある小田原城から築城のようすが見えないよう、極秘裏に進めるためです。そして、80日間ほどの突貫工事の末に陣城が完成すると、夜中のうちに周囲の木を伐採。後北条氏側からは、一夜にして陣城が築かれたと見えるよう演出したのです。
こうした状況から、笠懸山の山頂に築かれた石垣山城は「太閤一夜城」、笠懸山は石垣山と呼ばれるようになります。
小田原城の落城による後北条氏の滅亡と豊臣秀吉の天下統一
眼下に小田原城下を見下ろせる一夜城で、秀吉は茶会や酒宴を催したり天皇の勅使を迎えたりしたといいます。そのようすを見上げる小田原城内の武将や兵士は、いかに士気を削がれたことでしょうか。
結果的に、後北条氏は包囲から3カ月で小田原城を無血開城。5代続いた後北条氏は滅亡し、秀吉は天下統一を成し遂げたのです。
小田原城址公園
- 住所
- 神奈川県小田原市城内地内
- 交通
- 小田原駅から徒歩10分
- 料金
- 入園料=無料/入場料(天守閣)=大人510円、小・中学生200円/入場料(常盤木門SAMURAI館)=大人200円、小・中学生60円/入場料(歴史見聞館【NINJA館】)=大人310円、小・中学生100円/レンタル(甲冑、忍者、お姫様の装束)=大人300円、小人200円/豆汽車、バッテリーカー(子ども遊園地)=80円/自動遊器具(子ども遊園地)=30円/
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