更新日: 2024年1月14日
愛知県誕生までの歴史~廃藩置県後の県域には12県があった~
尾張と三河は別々の歴史を歩んできました。
それが明治になって統合して「愛知県」が誕生します。
愛知県としてまとまるまでの紆余曲折を見ていきましょう。
目次
【愛知県誕生までの歴史】廃藩置県によって三河に誕生した額田県
明治維新を迎えると、三河には旧幕府領を管理するために三河裁判所(豊橋市関屋町)が設置されました。当時、三河国内には岡崎、西尾、吉田(のち豊橋)、刈谷、挙母(ころも)、田原、西端(にしばた)、西大平、岡部(のち半原)、福島(のち重原)と合計10藩が存在しましたが、1871(明治4)年7月の廃藩置県でそれぞれ県に改められました。
三河裁判所は三河県と改められたのち、伊那県(現在の長野県南部と愛知県東部)に編入されて廃止。同年11月には前出の10県を統合して額田県(ぬかたけん)が成立すると、伊那県の三河地方(かつての三河県周辺)と知多郡が額田県に編入されます。なお、額田県の県庁は岡崎に置かれていました。
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