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更新日: 2024年1月14日
愛知県域の工業化~東海道本線や名古屋港を糧に大躍進!
明治維新後、愛知県では早くから工業化が進み、やがて中京工業地帯を形成します。
この発展はいわば、交通網の整備に支えられたものでした。
目次
青松葉事件を経て幕末から明治維新へ~愛知県の誕生~
1868(慶応4)年、鳥羽伏見の戦いで幕府軍は新政府軍に敗北しました。その直後、尾張藩主・徳川慶勝は朝廷に呼び出されて「姦徒誅鋤(かんとちゅういん)」の勅命を受けました。尾張藩内の佐幕派(幕府方)を廃し、近隣の諸大名にも朝廷方につくよう説得することを命じられたのです。
もともと尾張藩は徳川御三家の筆頭格であり、幕府寄りの政治スタンスをとっていましたが、藩主の慶勝自体は勤皇派(朝廷方)でした。勅命を受けた慶勝は尾張へ帰国したのち、藩内の佐幕派を弾圧しました(青松葉事件)。
この事件は、譜代大名や天領の多かった東海道や中山道の諸藩にまたたく間に伝わり、また慶勝が各藩に勤皇派への誘引を促したことにより、それまで態度を決めかねていた諸藩が新政府軍にいっせいになびいたのです。かくして新政府の倒幕軍は、抵抗を受けることなく、江戸まで到達できました。
明治新政府が発足すると、1871(明治4)年の廃藩置県を経て尾張と三河の諸藩が整理され、愛知県が誕生します。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
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