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岡崎城を治めた豊臣政権の重鎮・田中吉政とは

1590(天正18)年、家康が出たあと岡崎城に入ったのは、秀吉配下の田中吉政(たなかよしまさ)(5万7000石)でした。田中吉政は農民出身で、宮部継潤(みやべけいじゅん)に仕えたのち豊臣秀次(秀吉の甥)の傅役(もりやく)となり秀次の宿老となりました。秀次が近江八幡城(おうみはちまんじょう)(滋賀県近江八幡市)にいた頃には、安土城下の町並みを近江八幡に移す際に町割(区画整理)を行っており、行政手腕に長けた人物です。このときの町割は江戸時代中期まで残り「久兵衛町」(久兵衛は田中吉政の仮名)と呼ばれました。

田中吉政による岡崎城の改築

田中吉政は岡崎に入ると、岡崎城の改築に着手しました。城域を拡張し、さらに石垣や城壁を整備して近世城郭につくり替えたのです。これは“家康対策”でした。

豊臣政権下で家康はナンバー2の地位でしたが、その実力は豊臣家にとっては脅威で、それゆえに関東へ遠ざけられていました。もし家康が豊臣家に背き、関東から西進してきたとしたら、その防波堤となる堅固な(豊臣方の)城が必要です。このような理由から、岡崎城は拡張工事されたのです。

田中吉政が設けた要塞「岡崎二十七曲り」

また、田中吉政は城下の道を曲がり角の多いクランク状に整備しました。これも外敵への備えを意識したものです。城下の道に屈折が多いと、攻めてきた大軍が一気に城に押し寄せることができませんし、間道を利用して敵を迎撃することもできます。

岡崎城下はとくに屈折が多く、その城下道は「岡崎二十七曲(にじゅうしちまが)り」と称されました。それは欠町(かけまち)、両町(りょうまち)、伝馬通(てんまどおり)から籠田町(かごだちょう)を抜け、連尺通(れんじゃくどおり)、材木町、田町(たまち)、板屋町(いたやまち)、八帖町(はっちょうちょう)、矢作橋(やはぎばし)へと至り、現在の市内には、かつての二十七曲りの位置を示す石柱などが整備されています。

現在地図に見る「岡崎二十七曲り」

現在地図に見る「岡崎二十七曲り」

いくつもの曲がり角がある「岡崎二十七曲り」は、岡崎市内を貫く旧・東海道に設けられました。現在の町中には、かつての「二十七曲り」を示す石柱(道標)や金のわらじ案内柱などが岡崎市によって整備されています。岡崎城は岡崎公園内にあります。

田中吉政による岡崎城下の整備

田中吉政は岡崎の軍事拠点化を推進したばかりではなく、城下町の発展にも大きく寄与しました。

もともと岡崎城は、菅生川と矢作川が合流する龍頭山(りゅうとうざん)の丘陵に建てられており、東海道は岡崎郊外を通っていました。田中吉政は矢作川に橋を渡し、東海道を岡崎の城下町の中心部を通るように変更。これにより岡崎城下は人の往来が盛んになったのです。

さらに田中吉政は、7つの町を堀で囲む「田中堀」を築造して城下町を整備しました。

岡崎城と城下町を発展させた田中吉政の栄転

やがて田中吉政は、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍に属して戦い、西軍の実質的な大将であった石田三成を捕縛する功績により、筑後柳川城(ちくごやながわじょう)(福岡県柳川市)32万石に栄転しました。

岡崎城下は江戸時代に入っても発展を続けた

江戸時代に入って徳川政権が誕生すると、岡崎城は“家康生誕の地”として譜代大名が歴代の城主を務めました。

泰平の世では、田中吉政の整備した岡崎城の軍事拠点としての性質は次第に意味をなさなくなっていったものの、街道や町割の整備など、江戸時代に宿場町として栄える素地はすでに田中吉政の頃に築かれていたといえるでしょう。

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