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岡崎城下の発展にも寄与した田中吉政の「岡崎二十七曲り」

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

岡崎城下の発展にも寄与した田中吉政の「岡崎二十七曲り」

「家康生誕の地」岡崎城は豊臣政権下では“家康対策”として要塞化しました。
「岡崎二十七曲り」は、どのような意図で整備されたのでしょうか?

岡崎城は徳川家康生誕の地として有名

岡崎城(岡崎市)は徳川家康の生誕の地として知られています。

今川義元が桶狭間で討死したあと、家康は生地で独立を果たし、本拠地を曳馬(ひくま)(静岡県浜松市)に移してからも岡崎城は徳川氏が支配し続けました。やがて豊臣秀吉が天下人になると、豊臣政権下で家康は関東に移封されます。

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