トップ > カルチャー >  東海 > 愛知県 >

長篠の戦いで敗戦した甲斐武田氏はどんな武将?

甲斐武田氏は、武田信玄の代に駿河まで進出し、以降は西上(遠江侵攻)を企図するようになりました。

1572(元亀3)年、三方ヶ原(みかたがはら)(静岡県浜松市北区)で徳川軍を散々に打ち負かしたものの、その最中に信玄が病没。武田軍は勝利を収めながら、撤退を余儀なくされました。信玄の死後、武田の家督を継いだのは勝頼(かつより)でした。

甲斐武田氏は勝頼の代に最大版図を築き、再び西へと目を向けることになります。そうした流れのなかで、武田軍は徳川氏の長篠城を包囲したのです。

長篠の戦いの舞台となった長篠城

長篠城は寒狭川(かんさがわ)(豊川)と大野川(宇連川(うれがわ))が合流する断崖絶壁(段丘)の上に立つ要害であり、長篠城主の奥平信昌(おくだいらのぶまさ)は籠城して武田軍に抗戦しました。

長篠の戦いで徳川・織田方についた長篠城主は長期戦を強いられた

籠城戦というのは、味方の救援(後詰(ごづ)めという)を想定した持久戦です。当然、奥平信昌は主君の徳川家康に救援を要請し、それに応じて織田・徳川連合軍が援軍を派遣しました。合戦の定石からすれば、この後詰めは予測できたことであり、であればこそ武田勝頼は寡兵の長篠城(兵は約500)を1万5000もの大軍で包囲しました。最初から織田・徳川連合軍と雌雄を決する腹づもりだったわけです。

狙い通り、織田・徳川連合軍3万8000が長篠に集結すると、武田軍本隊は長篠城の包囲を解き、設楽原(したらがはら)に軍を進めるのでした。

長篠の戦いの戦局を変えた奇襲攻撃

両陣営が設楽原で対峙して睨みをきかせるなか、信長は家康の重臣・酒井忠次(さかいただつぐ)に2000の精鋭を預け密命を授けました。それが鳶ヶ巣山(とびがすやま)への奇襲攻撃です。

武田軍は鳶ヶ巣山を中心に中山、久間山、姥ヶ懐(うばがふところ)、君ヶ臥床(きみがふしど)と5カ所に砦を築き、長篠城を包囲していました。

5月20日深夜、酒井忠次は夜陰に乗じて鳶ヶ巣山まで迂回接近し、夜明けとともに鳶ヶ巣周辺の砦を次々と攻め落としたのです。設楽原まで軍を進めていた武田本隊は退路を塞がれる格好となり、21日の昼には設楽原で壊滅的な敗北を喫しました。

信玄の代から仕えていた「武田四名臣」のうち3人(馬場信春(ばばのぶはる)、山県昌景(やまがたまさかげ)、内藤昌秀(ないとうまさひで))までもが討死するなど、多くの重臣を失い、致命的な被害を出しました。

「長篠の戦い」の進軍イメージ

「長篠の戦い」の進軍イメージ
各種資料を元に現代地図上に作成

1575(天正3)年5月18日、馬防柵を築いた織田信長は、設楽原で武田軍と対峙。2日後、酒井忠次の一隊が船着山の南から大きく迂回し敵陣へ接近。この奇襲が成功し、織田・徳川軍は大勝しました。

長篠の戦いでの勝利をきっかけに織田信長は天下人に

この合戦に勝利したのち、信長は畿内で権力基盤を確固たるものとし、名実ともに“天下人”となっていきます。

かくして1582(天正10)年、信長は甲州征伐に乗り出します。このとき信長と同盟していた家康や北条氏政(相模)も各方面から同時に攻めていくことになり、同年4月、ついに武田勝頼は天目山(山梨県甲州市)で自刃。甲斐武田氏は滅亡しました。

『愛知のトリセツ』好評発売中!

日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。愛知県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

●収録エリア
愛知県全域

【見どころ】 Part.1 地図で読み解く愛知の大地

・山地の三河と低地の尾張、愛知県が東高西低なわけ
・1500万年前の奥三河には富士山級の大火山があった!
・自然の断崖が名城を守る!大地の端に築かれた名古屋城
・西南日本を分断する大断層、中央構造線が奥三河に露出!
・知多半島の南部の地層で産する、美しく多様な深海生物化石群
・県内の死者予測は2.9万人、南海トラフ地震とは何か?
・伊勢湾台風がもたらした高潮ほか大被害のメカニズム

・・などなど愛知のダイナミックな自然のポイントを解説。

【見どころ】Part.2 愛知を駆け抜ける鉄道網

・愛知県の鉄道の始まりに名古屋駅は存在しなかった!?
・世界初のビュフェもあった幻の関西鉄道はどんな路線?
・名鉄名古屋本線はかつて名古屋を境に東西で別の私鉄?
・新幹線に負けない魅力満載!進化を続ける近鉄名阪特急
・国産初の超低床路面電車!リトルダンサーが走る豊橋鉄道
・飯田線には昭和晩年まで東西の名車が集結していた!?
・線路やホーム跡が現存する奥三河の秘境鉄道・田口鉄道

…などなど、意外と知られていない愛知の鉄道トリビアを厳選してご紹介。

【見どころ】Part.3 愛知の歴史を深読み!

・大集落の朝日遺跡が教える縄文から弥生への移り変わり
・東海地方最大の前方後円墳、断夫山古墳が示唆するもの
・須恵器の猿投窯に始まり中世に発展した愛知の窯業
・応仁の乱の発端となった大激戦は尾張と三河の守護職争い!?
・信長が少ない軍勢で挑んだ桶狭間の戦い勝利の裏側
・家康後の岡崎城主・田中吉政が築いた岡崎二十七曲りとは?
・都市ごと清洲から名古屋へ移転した清洲越えがすごい!
・廃藩置県後の県域には12県、愛知県はどのようにして誕生?

・・・などなど、興味深いネタに尽きない愛知の歴史。知れば知るほど愛知の歴史も面白い。

『愛知のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  東海 > 愛知県 >

この記事に関連するタグ