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長篠の戦いの攻防とその後~織田・徳川軍vs甲斐武田軍~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

長篠の戦いの攻防とその後~織田・徳川軍vs甲斐武田軍~

長篠では織田・徳川連合軍と武田軍が激突しました。
両陣営はなぜこの地で決戦に及んだのでしょうか。
長篠周辺の地形と合戦の経緯を追っていきましょう。

長篠の戦いとは

1575(天正3)年、織田・徳川連合軍が三河国の長篠(新城市長篠)で武田軍と激戦を繰り広げました。世にいう「長篠の戦い」です。

織田信長が鉄砲隊を三隊に分け、交替で射撃させた「三段撃ち」の逸話が有名ですが、その真偽のほどはさておき、長篠の戦いでの大敗が甲斐武田氏の衰退を招いたことは間違いありません。

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