更新日: 2024年11月7日
朝日遺跡が教えてくれる縄文から弥生への移り変わり
朝日遺跡は東海地方では最大級の弥生遺跡です。
弥生文化はどのようにして愛知県域に伝わってきたのか、朝日遺跡の出土品から探ってみましょう。
朝日遺跡は東海地方最大級の規模の環濠集落
清須市から名古屋市西区にまたがる朝日遺跡は、縄文時代末期から弥生時代にかけて栄えた集落遺跡です。
現在の地形とは異なり、当時この地域には河川が流れており、川の流れによって区切られた地域ごとに集落(北の区画、南の区画)や墓域(東西南北の墓地)が形成されていました。その全体は東西が約1.4㎞、南北は約0.8㎞に及ぶ広大な敷地を誇り、愛知県内はもちろんのこと、東海地方でも最大級の規模を誇る環濠(かんごう)集落でした。
環濠集落の形式は大陸由来のもの
環濠集落とは周囲に濠を巡らせた集落のことで、朝日遺跡からは柵や乱杭(らんぐい)、逆茂木(さかもぎ)といった木のバリケード(防御施設)が発見されており、周辺地域との抗争があったことがうかがえます。
なお、この環濠集落という集落の形式は、水稲農耕とともに大陸からもたらされたもの。食糧の保存が可能になり集落に富が蓄積されると、集落内に権力構造が誕生するとともに、周辺地域との富の奪い合いが発生したわけです。
朝日遺跡の分布図
約600年間、この地に人々が暮らしていました。東西約1.4㎞、南北約0.8㎞の土地に住居や墓などが広がる、朝日遺跡のおもな分布図。
土器や石器、骨角器、木製品、金属器などが出土したほか、環濠集落や土塁などの防御施設の遺跡もあり、弥生時代、周辺との争いがあったことを示唆しています。
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