更新日: 2024年11月7日
吉胡貝塚出土の人骨が教える縄文人の暮らしぶりの新解釈
吉胡遺跡からは多数の人骨が出土し、考古学上の“常識”を覆すことになったといいます。
吉胡人骨からは、いったい何がわかったのでしょうか?
目次
吉胡貝塚は愛知県を代表する縄文時代の遺跡
愛知県内の縄文遺跡の代表格といえば、吉胡遺跡(よしごいせき)(田原市吉胡町)です。
吉胡遺跡の場所は、蔵王山の南東、渥美半島の低地に接した斜面に位置しています。縄文時代後期末から晩期(2500年前~3000年前)にかけての貝塚遺跡であり、1922(大正11)年から翌年にかけての発掘調査では、土器や石器や貝類以外にも、300体を超える大量人骨が出土したことで世間の耳目を集めました。
吉胡貝塚付近
吉胡貝塚は渥美半島中央付近の北部、標高250.4mの蔵王山から見て南東方向に位置しています。周囲には水田が開け、往時、海岸線が貝塚近くにあったことが想像できます。
愛知県の海岸沿いある同時期の遺跡
同じく渥美半島には伊川津(いかわづ)貝塚(田原市伊川津町)や保美(ほび)貝塚(田原市保美町)といった同時期の貝塚遺跡があり、こちらでも多量の人骨が出土しています。
何しろこの田原市から出土した人骨だけで、日本全国の縄文人骨のおよそ4割を占めるというのですから、吉胡貝塚周辺の遺跡の縄文研究への貢献度は計り知れません。
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