更新日: 2024年1月13日
鎌倉と地質の深い関係とは?海と山に囲まれた“天然の城塞”
海に面し、三方を山に囲まれた“天然の城塞”である鎌倉。
多くの観光客をひきつける風景には、数百万年前に海底で誕生した鎌倉の地層が深く関係しています。
12世紀末、鎌倉幕府を開いた源頼朝が鎌倉に拠点を置いたのは、この地が海と山に囲まれた“天然の城塞”であったからだとされています。
現在は「鎌倉アルプス」と呼ばれ、人気のハイキングコースとして親しまれている鎌倉の山も、かつては城壁の役割を果たしていたのです。
鎌倉の地質と「切通」
外部との交通の要所には、山を切り開いて道を通す「切通(きりどおし)」が設けられ、人の往来や流通の便を図るとともに、重要な防衛拠点としました。代表的な7つの切通は、「鎌倉七口(かまくらななくち)」と呼ばれています。また、平地の少ない鎌倉では、谷を切り開いた「谷戸(やと)」と呼ばれる山あいに、多くの寺社や住居が建てられました。
このような町づくりの基盤となった地形は、どのように形成されたのでしょうか。
鎌倉の切通とおもなハイキングコース
三方を囲む山が城壁の役割を果たし、交通の要所に切通が設けられました。今は尾根沿いにハイキングコース(主要コースを白色で表示)が整備されています。山を削り、谷戸を作った沢水は、滑川となって沖積地をつくり、相模湾に注いでいます。
化粧坂切通
武蔵国(東京・埼玉)に通じる防御拠点で、幾度となく激戦の場となった場所。池子層と浦郷層の境目にあり、貝化石も多く見つかっています。
亀ヶ谷坂切通
化粧坂とともに武蔵国方面へ抜ける要路。シルト岩(粒子の粗い泥が固まった岩)でできた逗子層の岩盤が、両壁によく露出しています。
朝比奈切通
横浜方面に抜け、六浦港と結ぶ要所。浦郷層の硬い凝灰質砂岩が分布し、史書『吾妻鏡』には難工事のようすが記されています。
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