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更新日: 2024年11月28日
拡大する東京の埋立地!変化し続ける東京の沿岸地域
徳川家康の江戸入府以降、居住地などの土地確保のため、またゴミの処分場として、東京の沿岸部では埋め立てが繰り返され、領域が広がっています。
≪ポイント≫
・東京沿岸は江戸時代以前から埋め立てが始まっていた
・東京の埋め立て地は河川を掘った土があてられた
・東京湾は国際貿易港となるため埋め立てが進められた
東京の埋立地は江戸時代からあった
東京湾は、江戸時代以降、沿岸部の埋め立てが盛んに行われるようになりました。徳川家康が江戸城に入ったときには、すぐ目の前にまで日比谷の入り江が迫る小さな村だったというから驚きです。
江戸開府に伴い急増する武家や町民の居住地を確保する土地づくりが急務となり、まず、日比谷入江を埋め立てました。さらに、隅田川の東側が広範囲に埋め立てられて市街地化しました。
やがて、江戸のゴミの捨て場が江東地区の低湿地に定められ、以降、現在にいたるまで、埋立地が次々と誕生してきたのです。
東京湾拡張の変遷
東京の湾岸は、江戸期から広範な埋め立てによって市街地が形成されていきました。その後も、火災や震災の瓦礫を処分するため、また、東京港の浚渫工事で発生した土砂を使って、現在の江東区・中央区などに新たな土地が開発されていきました。
戦後は、物流機能の拡張のため、豊洲、品川、大井などの埠頭、羽田などが造成される一方、廃棄物処理のための埋め立ても、江東区を中心に行われています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
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