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斎藤道三の戦略地図~油売りから国持ち大名へ

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

斎藤道三の戦略地図~油売りから国持ち大名へ

土岐氏を追放し父の下克上を完遂した斎藤道三。“美濃の蝮”といわれた斎藤道三は、織田信秀との戦いに終止符を打つも、息子に敗北を期するのでした。

斎藤道三の戦略地図~土岐氏を追放し、父の下克上を完遂

戦国の梟雄(きょうゆう)の一人、美濃(みの)の斎藤道三(さいとうどうさん)は、これまで一代にして油売りから美濃一国を治める大名へと成り上がった人物とされましたが、実際は父と二代にわたる国盗りであったことがほぼ確実視されるようになりました。

『六角承禎条書写(ろっかくじょうていじょうしょうつし)』の記述によると、道三は、油売りから美濃国守護の土岐(とき)家の重臣の地位まで出世した父・新左衛門(しんざえもん)の尉(じょう)の子・長井利政(ながいとしまさ)として歴史上に登場します。すでに稲葉山城(いなばやまじょう)は彼の居城だったようです。

斎藤道三は守護代の斎藤氏の家督を奪ったものの、その後一気に国盗りを実行はしていません。当時の美濃には守護の土岐頼武(よりたけ)とその子・頼純(よりずみ)と、頼武の弟の土岐頼芸(よりのり)がいましたが、これを一網打尽にはせず、策略を駆使して頼芸を守護の座につけ、斎藤道三自身が美濃の実権を握ったのち、頼芸も追放。美濃の国主に収まったのです。

斎藤道三、美濃を奪い守り抜く

親子二代で美濃の国盗りを実現した斎藤道三は、朝倉・織田を相手に美濃を守ることに終始しました。

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