更新日: 2024年1月14日
復興小学校は今どうなっている?関東大震災を教訓に生まれた“焼けない・壊れない・避難しやすい”学校とは
都内の多くの小学校が罹災し、大勢の児童が亡くなった関東大震災。
この悲劇を繰り返さないために東京都が建設した復興小学校の現在を見てみましょう。
目次
復興小学校と関東大震災
関東大震災による大火災は、東京の下町を焼き尽くし、当時の東京市立小学校196校のうち117校が焼失。約5000人の児童が犠牲になりました。木造はもちろん、瓦や石造りなども震災の火災に耐えられなかった一方で、鉄筋コンクリート造の評価が高まります。
東京市は、復興事業で焼失区域全域の区画整理を実施。焼失した小学校は、当初は青空授業やバラック校舎でしのぎましたが、昭和6(1931)年までに、117校全てが鉄筋コンクリート造で再建されました。
現在の千代田区や中央区、台東区、墨田区、江東区などに短期間で建てられたそれらの小学校は、震災復興の象徴のひとつとして「復興小学校」と呼ばれることになります。
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