更新日: 2024年1月14日
銀座の歴史~文明開化のシンボルとなった西洋スタイルの煉瓦街の誕生!~
明治維新を迎えた日本が文明国であることを西洋に示すために…。
火災で焼け野原となった銀座は5年後、近代国家を象徴する街に生まれ変わります。
目次
銀座の歴史:煉瓦街の誕生のきっかけ
時代が明治へと移り、いち早く文明開化の風が吹いたのが銀座の街並みです。そのきっかけは、明治5(1872)年の大火。銀座一帯は焼け野原となり、焼失した地域の復興計画として、洋風の煉瓦建築による都市計画が立案されたのです。
理由は、幕末の不平等条約改正のための欧化政策。つまり、日本が文明国であることを対外的に立証して交渉をできるだけ有利に進めたいという政府の意向があったからです。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!