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硫黄島はなぜ戦争の舞台となったのか

この戦いの前、昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦で大敗した日本軍は、それ以後の戦いでも惨敗が続きました。一方、アメリカ軍は、昭和19(1944)年8月にマリアナ諸島を占領したことにより、B-29による日本本土への本格的な空爆が可能になります。

とはいえ、マリアナ諸島と本土の往復は、B-29の航続可能距離の限界に近く、その中間に位置し中継基地になる硫黄島は、アメリカ軍の次の戦略上の目標になるのが明白でした。

硫黄島での戦争における指揮官・栗林の作戦

本土防衛のため硫黄島絶対死守の任を与えられた栗林は、前代未聞の島全体を要塞化する作戦を立案します。それまでの日本軍は、アメリカ軍の上陸作戦に水際撃滅作戦で応じていました。しかし、栗林の迎撃構想は、島内各所に地下陣地を構築し、敵部隊を内陸部に引き込んでゲリラ戦を展開するというものでした。司令部などすべての軍施設を地下壕で結び、総延長は18kmにも及びました。

2月19日、アメリカ軍が「D-Day」と呼んだ上陸作戦開始日、海兵隊は地下陣地からの攻撃で大混乱に陥りました。

硫黄島での日本兵たちの覚悟

栗林は、硫黄島着任後、いかに戦うべきかを「敢闘ノ誓(かんとうのちかい)」と「膽兵(たんへい)ノ戦闘心得」として、将兵たちに示しています。後者の防御戦闘に関する項目の中に「一人の強さが勝の因苦戦に砕けて死を急ぐなよ膽の兵」という一文があります。

これは、自決や“万歳突撃”を戒めるものですが、その真意は1日でも長く持久戦に徹底することにあり、兵士たちに死という逃げ場すらない戦場になることを覚悟させました。

いっぽうで、栗林はアメリカ駐在経験があり、同国との戦争には終始否定的でした。優れた戦術家であると同時に、硫黄島から家族へ41通もの手紙を出したよき家庭人でもありました。

硫黄島での戦争を米軍側から見ると

対してアメリカ軍司令官は、当初「攻略予定は5日間」と想定していました。しかし、実際には40日間以上にわたり戦闘が継続。この戦いを象徴する「摺鉢山の頂上に星条旗を掲げる海兵隊員たち」という写真は、同年のピューリッツァー賞を受賞しています。

当時の硫黄島の地図

当時の硫黄島の地図
出典:防衛研究所『戦史叢書第013巻 中部太平洋陸軍作戦<2>ペリリュー・アンガウル・硫黄島』 P274の「伊支隊の硫黄島防禦配備要図」を元に作図

栗林がいた第109師団司令部は、島北部の北集落にありました。摺鉢山は、南西の岬の先端付近にあり、島内を一望できる戦略拠点でした。

一方、アメリカ軍は、摺鉢山北東の南海岸の砂浜から上陸作戦を開始。摺鉢山攻略を目指す部隊と、島全域の占領を目指す部隊の二手に別れて進軍しようとしました。

硫黄島での戦争で玉砕した日本兵たちと硫黄島の現在

3月17日、栗林は大本営宛に決別の声明を打電。「国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」などの辞世の句も添えられていました。そして3月26日、残りの部下400人を率いて、自ら出撃。最後まで敵をかく乱しようとする執念の奇襲をかけ、玉砕します。

その後、硫黄島は昭和43(1968)年に日本に返還。現在は、海上自衛隊の航空基地があり、隊員以外は原則立ち入りできません。島には、70年以上経った今も、栗林を含む約1万柱の日本軍将兵の遺骨が眠っています。

硫黄島の戦争跡は、今もいくつも残っており、海軍の重巡洋艦の副砲と同型のさび付いた14cm水平砲や、内部には強固なコンクリート製の部屋がいくつもある「栗林壕」とも呼ばれる司令部壕跡などがあります。

硫黄島に散った“バロン西”

守備隊の戦車隊長だった西竹一陸軍中佐は、男爵家の生まれで「バロン西」の異名を持っていました。昭和7(1932)年のロサンゼルス五輪では、愛馬「ウラヌス号」を駆り馬術障害飛越競技で金メダルを獲得。2020年現在、夏季五輪の馬術競技で日本が獲得した唯一の金メダルです。

長身の美男子でアメリカでも人気でしたが、硫黄島で帰らぬ人となりました。

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