更新日: 2024年1月14日
硫黄島での戦争の悲劇!太平洋戦争最激戦地のひとつ“玉砕の島”で何が起こったのか
約2万人の日本軍守備隊が、ほぼ全滅した硫黄島の戦い。
圧倒的に不利な状況で、日本の将兵たちはどう戦い、玉砕したのでしょうか。
その軌跡を追います。
硫黄島での戦争
東京都小笠原村に属し、都心から南に約1250km離れた硫黄島。面積約22k㎡の小さな火山島で、昭和20(1945)年2月、日本軍約2万1千人とアメリカ軍約6万1千人が激突しました。
血で血を洗う死闘の末、硫黄島守備隊の指揮官・栗林忠道(くりばやしただみち)陸軍中将をはじめ、約2万人の日本軍将兵が戦死。両軍合わせて約5万人が死傷するという太平洋戦争の最激戦地のひとつになり、「玉砕の島」としてその名が歴史に刻まれています。
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