更新日: 2024年1月14日
中央集権国家の樹立へ~廃藩置県と東京の誕生~
明治新政府が目指したものは中央集権国家の樹立でした。
欧米の列強国に追いつくため、新しい制度を次々と実行し、首都は東京に置かれました。
中央集権国家の樹立と廃藩置県の発令
明治新政府が目指したのは、中央集権による新しい体制です。
第一段階として実施したのが版籍奉還。版籍奉還とは藩主が領地(版)と領民(籍)を朝廷に返上するものです。明治2(1869)年、薩長土肥の4藩主が奉還建白書を提出すると、すべての藩主が続きました。
次に実行したのは廃藩置県です。明治4(1871)年、薩摩、長州、土佐の3藩の兵1万人を東京に集中させて軍事力を誇示し、それを背景に西郷隆盛と木戸孝允を参議に立て、大久保利通は行政の実権を握る大蔵卿とし、その後、板垣退助、肥前の大隈重信を参議にして、薩長土肥の勢力で実行されました。同年7月には天皇が藩を廃止して県を設置する廃藩置県を命じました。
中央集権国家の樹立によって近代国家を目指す
新政府は、版籍奉還、廃藩置県を実施することで江戸時代の地方分権制度から中央集権体制を確立し、天皇の神格化、神道の国教化が加えられました。
同時に、近代国家を目指すための新しい制度や事業を行いました。郵便制度、鉄道敷設、電線建設、学制などがあげられます。
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