彰義隊の結成と規模の拡大
旧幕府の武士たちで新政府軍への恭順に納得しない者たちが彰義隊を組織しました。当初は一橋家の家臣・渋沢成一郎、天野八郎ら十数名で結成されました。彰義隊とは、「義を彰(あきら)かにする」という意味で慶喜を警護する目的で結成され、その後市中の警備に当たりました。そして慶喜が恭順の意思を表しているにもかかわらず、新政府軍の処置に反発する武士らが慶喜の復権を求めました。
次第に隊員がふくらみ、隊員数は1000人を超えるまでになりました。隊員が増え、市中を警備しているうちに新政府軍との小競り合いも繰り広げられるようになります。彰義隊は慶喜の守護が目的であり、慶喜が謹慎した上野に駐屯しました。
江戸市民の中には、江戸城に入った新政府軍よりも、心情的に彰義隊を応援する者が多かったといいます。新政府軍は規模が大きくなり上野に駐屯する彰義隊の討伐を決意します。
彰義隊の討伐を開始した新政府軍
新政府軍は江戸警備を彰義隊に任せていましたが、その指揮権を奪い、軍事の天才といわれた大村益次郎を軍事責任者として派遣しました。
討伐を決めた大村は彰義隊がたてこもる寛永寺を取り囲み、正面となる黒門口には西郷隆盛ら薩摩藩を配置、西側面となる谷中口にも主力を置きましたが、北側の根岸方面にはあえて手薄にして退路を作る作戦をとりました。死にものぐるいで逃げる者に対して、逃げられるように仕向けたともいわれます。
彰義隊が上野戦争で新政府軍に惨敗
明治元(1868)年5月15日早朝、新政府軍は大村益次郎の総指揮のもと、1万5000人余をもって攻撃を開始しました。彰義隊は2000人から3000人で応戦しました。
黒門口では高台にいた彰義隊が有利に戦い、西郷隆盛も門を突破できずにいました。しかし、軍備に勝る新政府軍は、不忍池越しに放たれた2門のアームストロング砲による砲撃で彰義隊は大混乱に陥り、一気に総崩れとなりました。刀や槍の彰義隊は、銃で武装した新政府軍にかなうはずはなかったのです。
大村益次郎は、彰義隊を壊滅させることで、新政府軍の力を誇示しました。寛永寺の伽藍は焼失、上野は一面焼け野原となり、戦いは午前で決着がつきました。遠くから見ていた江戸市民も、新政府軍の軍事力を見せつけられることになりました。
彰義隊は散り散りとなって逃げた者も少なくありませんでしたが、300人前後が戦死、会津、箱館まで転戦し戊辰戦争を戦う者もいました。
戦闘後、上野の山には200体以上の死体が放置されていましたが、新政府軍はあえて放置したといいます。千住の円通寺住職らが荼毘にふしました。円通寺には彰義隊関係者、旧幕臣など戊辰戦争関係者の慰霊塔があり、黒門も移築されています。
上野に現在も残る戦いの跡
寛永寺(現在の上野公園)の境内が一面焼け野原となった上野戦争ですが、現在にも戦いの跡が残っています。
国立博物館隣の両大師に移築された寛永寺旧本坊表門には銃撃・砲撃の跡が残っています。戦いの跡ではないですが、彰義隊の供養塔は西郷隆盛像のすぐ近くにあります。
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