更新日: 2024年1月14日
安政の大地震で恐怖に陥った江戸~マグニチュード7レベルの直下型地震~
安政年間(1854~1860年)は幕末の激動の時代を暗示するかのように事件や天災が相次ぎました。
新しい元号の安政になって早々、江戸を大地震が襲いました。
安政の大地震と火災の発生
安政2(1855)年10月2日午後10時頃、江戸を中心とする大地震が起き、江戸では武家屋敷や町家の多くが倒壊しました。地震のあと火災が発生し、市中の約30か所から火の手があがり被害はさらに大きくなりました。
しかし、風が弱かったことが幸いし、翌朝の10時頃には鎮火しました。江戸市中の焼失面積は関東大震災の約20分の1といわれています。
安政の大地震の大きさ
被害が大きかったのは、本所、深川、鉄砲洲、築地、上野、浅草の低地部でした。現在の江戸川や葛飾方面では、液状化現象が起きています。震源地は被害の中心から見て、現在の東京湾北部から江東区付近と想定されるものでした。
いわゆる内陸の直下型地震で、マグニチュード7に匹敵する大きさでした。
安政の大地震の被害
被害は武家屋敷にも及び、水戸藩の儒学者・藤田東湖(とうこ)らが屋敷内で圧死しました。死者は武士、町人合わせて少なくとも7000人以上といわれています。この死者数は1995年の阪神・淡路大震災の死亡者6433人を上回るものです。
町方では約1万6000棟が倒壊しました。江戸市中全体では約10万人を超える人が家を失っています。
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