更新日: 2024年1月14日
江戸幕府の開府!265年に及ぶ徳川家の栄華の始まり
戦国時代を経て江戸に幕府を開いた徳川家康。
以後、15代の長期にわたって政権を担当しましたが、3代・家光の時代までにその基礎はつくられました。
目次
江戸幕府を開いた徳川家康
慶長5(1600)年に関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、同8(1603)年征夷大将軍となり、江戸幕府を開きました。
家康はこれより先、天正18(1590)年に後北条氏を倒して全国制覇した豊臣秀吉から関東への移封を命じられ、江戸の町づくりを始めました。幕府を開く前から着手したのは、拠点となる江戸城周辺の整備と飲料水を確保するなどの事業でした。
江戸城は、武蔵野台地の東端に位置し、その東は低湿地が現在の東京湾に向かって広がっていました。この低湿地や入江を埋め立てて江戸の町を築きました。
江戸幕府の開府前に江戸城築造と市街地の造成事業を進める
特筆すべきは、江戸城築造と市街地が相互に関連しながら進められたことです。神田山 (現在の駿河台)を切りくずし、水路を埋め残しながら現在の日本橋浜町から新橋辺りを埋め立てて市街地を造成しました。慶長8(1603)年、日本橋川に橋が架けられ、これが日本橋を起点にした全国に通じる五街道となります。
幕府を開く前から家臣に命じていた輸送ルートの拡充では、文禄3(1594)年の千住大橋に続いて慶長5(1600)年には多摩川に六郷橋(ろくごうばし)を架橋しました。
江戸幕府開府と同時に進んだ江戸城築城の内容
太田道灌が築いた江戸城は、外側を囲う石垣もなく、土手が張りめぐらされているだけでした。城といっても天守などはなく、中世の砦のようなものだったため、江戸城の築城も慶長11(1606)年から翌年にかけて本格的に行いました。
5層の大天守や本丸、二の丸、三の丸の御殿、外堀の石垣などを完成させ、引き続き、西の丸の修築などを行いました。
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