更新日: 2024年1月14日
北条氏照が築いた八王子城!地形を巧みに利用した山城の落城と戦国時代の終焉!
織田信長亡き後、天下人となった豊臣秀吉。
全国統一のため関東の支配者・北条の小田原城に進軍します。
その北条のもうひとつの砦が八王子城でした。
豊臣秀吉の全国統一を阻んだ北条氏
天正13(1585)年、羽柴秀吉は関白となり、翌年には太政大臣となり豊臣の姓を賜り豊臣秀吉となりました。天正15(1587)年には九州を平定、全国統一のために残されたのは小田原城の北条だけでした。
小田原北条は鎌倉時代の北条と関係はなく、明応2(1493)年に伊豆を占領したのが伊勢盛時(北条早雲を名乗る)で、鎌倉幕府の北条にあやかり北条姓を名乗りました。鎌倉幕府の北条と区別するため後北条と称されます。2代目・氏綱の時代になると領土を拡張し、4代目・氏政の時代には、関東のほぼ全域を制圧します。
居城は関東全体から見ると西端に位置する小田原城。3代目・氏康の三男として生まれた氏照(うじてる)は軍事部門で大いに活躍し、それまで大石氏が城主だった八王子の滝山城を居城としました。
北条は大永4(1524)年江戸城に入り、続いて天文7(1538)年には下総国国府台にも進出し、関八州といわれた関東地区を制しました。
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