目次
高尾山ケーブルカーの歴史①:信徒の参拝のために薬王院貫主が発案
また、高尾山は、奈良時代に聖武天皇の勅願を受けて薬師如来(やくしにょらい)を安置して開山したといわれ、真言宗智山派薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)がある山としても知られています。
高尾山を登る際に観光客が利用するケーブルカー「高尾登山電鉄高尾鋼索線」は、昭和初期に誕生したもので、実は大正時代に薬王院の27世武藤範秀貫首(かんしゅ)が発案したものです。当時、薬王院の信徒は30万人いたとされ、信徒たちは、中央線浅川駅(現在の高尾駅)から高尾山麓まで歩き、一里の山道を登って、ようやく薬王院に参拝するという苦難を強いられていました。遠隔地に住む信徒や高齢者にとっては、大変な労苦であったに違いありません。
高尾山のケーブルカー敷設への困難な道のり
そこで、武藤貫首は信徒の便宜を図れば、地域の浅川村も経済的に潤うと考え、地元有力者らと協力して、ケーブルカー敷設の免許申請を行いました。大正10(1921)年8月に免許が交付されると、翌月には高尾索道株式会社(現在の高尾登山電鉄)が設立されました。ところが、そこからケーブルカー開通までの道のりは、実に遠いものとなりました。
高尾山は官有林野であるため、その借用と森林伐採には交渉と煩雑な手続きが必要だったからです。しかも、当時、国内で開業していたケーブルカーは奈良県の生駒鋼索鉄道(いこまこうさくてつどう)のみだったため、例が少なく、橋梁もトンネルもあったりと技術的なさまざまな困難が多くありました。また高低差271mを1kmでつなぐ間には、国内鉄道における最急勾配(608パーミル)区間もありました。
さらには、着工前ではありましたが、大正12(1923)年に発生した関東大震災によって山上駅予定地が崩壊。その結果、路線変更を余儀なくされるとともに、震災後の経済情勢から着工を一時的に見合わせる事態に陥ってしまいます。
高尾山ケーブルカーの歴史②:幾多の困難を乗り越えて運行開始
それでも、なんとか大正14(1925)年6月に工事に着手し、幾多の困難を乗り越えて、会社創立以来約5年の歳月をかけて、昭和2(1927)年1月に工事が完成し、高尾山ケーブルカーの運行を開始。その年は多摩御陵の一般参拝が許されたこともあって、関係者の予想以上に盛況であったといいます。
高尾山ケーブルカーの歴史③:太平洋戦争で一時休止するも現在まで好評運行中
太平洋戦争が始まった折には、戦局の悪化に伴って企業整備令が出され、車両や巻上機械などの主要設備を戦争資材として供出したため、昭和19(1944)年2月、運行休止に。
終戦後4年目の昭和24(1949)年には、ケーブルカーとしては戦後いち早く運行を再開しました。昭和43(1968)年には、全自動制御の近代的ケーブルカーに生まれ変わりました。2008年からは4代目の車両となり、高尾山を訪れる大勢の足となっています。
渋谷にもロープウェイがあった !?
昭和26(1951)年夏、渋谷駅上空を往き来する空中ケーブルカー(ロープウェイ)が運行を開始しました。その名は「ひばり号」。当時の東横百貨店本館屋上と別館屋上を往復して結び、75mの区間をゆったりした速度で運行しました。別館屋上側には乗降場所はないので往復のみ。料金は往復20円(当時の国電最低料金は10円)。乗車できるのは子供だけで定員12名。子供向けアトラクションだったためか、わずか2年で運行を終了しています。あまりにも短期間で消えたため、「幻の乗り物」扱いされることが多いようです。
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