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中山競馬場の源流である松戸競馬場が広大な土地を求めて移転

ところが、地形的に拡張できない松戸競馬場では落馬事故が多発。そんな折、陸軍から工兵学校創設のため競馬場用地の接収話が持ち込まれました。主催者はこれを好機ととらえ、競馬場の移転を決定(費用は当局負担)。移転先第一候補にして隣村の矢口村とは話がまとまらず、そこで白羽の矢が立ったのが葛飾郡中山町と葛飾村の土地。中山町は中山法華経寺の門前町として栄える人と物の集積地。近くに工場もありました。

中山競馬倶楽部は松戸競馬倶楽部からの改称

こうして1919(大正8)年10月、松戸競馬倶楽部は同地へ移転し、中山競馬倶楽部と改称しました。競馬場(1周1マイル)は、現在ある中山競馬場の南側に位置し、スタンドは明王院の西側に建っていました。

中山競馬倶楽部に激しい内紛が勃発

1923(大正12)年7月1日、中山ほか全国11の公認倶楽部に対し国は馬券の発売を認可。その矢先、倶楽部内に内紛が勃発し、新しく実権を握った勢力が東葛飾郡行徳町(現・市川市)の塩田跡に競馬場建設を開始。

しかし、同年9月1日の関東大震災による津波で、完成間近の競馬場は流失。それでも内紛は続き、倶楽部は競馬を開催できない異常事態に陥りました。

肥田金一郎氏の尽力による内紛解消と新競馬場の着工

これを救ったのが、1926(大正15)年、常務理事に就任した肥田金一郎。氏は「東洋一の競馬場」を目標に、手狭な中山(若宮)からの移転を急ぎました。第一候補は現在地(船橋市古作)ですが、地権者は「競馬を開催できず土地の賃貸料を滞納していた」倶楽部に対し不信感をつのらせました。これを熱意ある交渉、中山町町長、法典村村長ら地域有力者の加勢で解消。1927(昭和2)年5月には当局も移転を認可しました。

移転工事でも利権紛争が起こったため、肥田氏は同年9月、国に倶楽部の内紛一掃を願う陳情書を提出。こうして同年10月23日、ようやく新競馬場が着工されました。

中山競馬場の完成と盛況

昼夜兼行の工事の末、1928(昭和3)年1月21~29日に第1回開催を迎えました。入場人員は2万人超、売上は171万円超の大盛況。のちの開催も人気で、中山は国内を代表する競馬倶楽部へと発展していきました。

1937(昭和12)年、その2年前に設立された日本競馬会へ合流。太平洋戦争中は陸軍、戦後は米軍に接収されたものの、1946(昭和21)年9月1日付で、進駐軍から返還されました。翌年の3月21日には競馬を再開し、8日間で2億円近い破格の売り上げを記録。1954(昭和29)年7月には日本中央競馬会(JRA)が発足すると同時に、JRA中山競馬場として再出発し、同年10月23日からの延べ8日間開催では7億3000万円超もの売上げを記録しました。

現在の中山競馬場付近

現在の中山競馬場付近

現・中山競馬場(船橋市古作)の初開催は、1928(昭和3)年1月。ゴール前の急坂は、もともとの地形を利用しています。

船橋法典駅(工事中の仮称は北船橋駅)は1978(昭和53)年開設。南東にある円形地区は、旧・海軍無線電信所船橋送信所跡にして、1976(昭和51)年に入居が始まった行田団地です。

中山競馬場を代表するGⅠレース皐月賞と有馬記念

なお、現在の中山競馬場を代表するGⅠのうち皐月賞は1949(昭和24)年に東京競馬場から開催地を変更、また、有馬記念は1956(昭和31)年に「中山グランプリ」として創設されたことに始まります。

船橋競馬場の前身は柏競馬場?

地方競馬の船橋競馬場は、東葛飾郡柏町(現・柏市)にあった柏競馬場が前身。柏競馬場は、千葉町都賀村(現・千葉市中央区椿森)の椿森競馬場の代替地として、地元の富豪・吉田甚左衛門が誘致。1928(昭和3)年、阪神競馬場と宝塚をモデルにした1周1マイル、階段式観覧席をもつ地方競馬随一の大きさを誇る競馬場として開場しました。

しかし、太平洋戦争により1942(昭和17)年には開催を中止。戦後、一時は復活しましたが1950(昭和25)年に閉場、同年開場した船橋競馬場へ引き継がれました。跡地は、豊四季台団地に姿を変えました。

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