更新日: 2024年1月14日
中山競馬場の誕生秘話!皐月賞や有馬記念の舞台の起源とは?
皐月賞や有馬記念などの大舞台として知られる中山競馬場。
その起源は松戸競馬場にあり、船橋市内でも一度移転していることをご存じでしょうか。
目次
中山競馬場のルーツ「松戸競馬場」からひも解く日本競馬の歴史
日清・日露戦争などを通じ軍馬の改良増殖の必要性を感じた国は、1905(明治38)年、「馬の資質向上」のため当時認めていなかった日本人による競馬開催、馬券発売を黙許。全国で公認競馬会が設立するなか、1907(明治40)年7月、小金牧の中心地・松戸に「総武競馬会」が認可、設立されました。
そもそも松戸では1905(明治38)年末から翌年初頭、1周半マイル(約800m)の小さな馬場で競馬を開催していました。総武競馬会はこれを足がかりに、1910年3月9日、松戸の丘陵地(松戸市岩瀬)に1周1マイルの松戸競馬場を建設。同年9月22日からの第1回開催は大成功を収めました。
馬の改良目的もあり国が競馬を後押し
ところが、競馬賭博をよしとしない世論の高まりから、翌年10月6日、国は馬券発売禁止命令を発しました。各地の競馬施行団体は大打撃を受け、国へ損害賠償を求めました。対して国は、馬の改良のためにも競馬を必要としており、条件付きで主催者へ補助金を給付。総武競馬会は、補助金を得ると同時に松戸競馬倶楽部へ改称しています。
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